深夜特急に憧れて 4(カンボジア編 3)

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コーヒーのお便り

カンボジアでの思い出をもうすこしだけ語ろうと思う。

僕が「ちゃんとした」バックパッカーになった時の話だ。

 僕が滞在していた宿は、ちょうどその時できたばかりでとても綺麗な日本人宿だった。
白を基調とした2階建ての建物で、6人用のドミトリールームが3つ、個室が4つほどあった。オープンテラスの共有スペースにはハンモックやソファが並んでおり、誰もがそこで旅の情報を交換していた。それなりに規模があるゲストハウスだったが、一泊3ドル程度だった。
 滞在していたシェリムアップには他にも日本人宿が一つ、古くからあった。ところがそこは汚く、盗難が相次いでいた(それが保険金狙いの詐欺だったという噂もあった)ため、
誰もが新しくできた方へ移動していた。僕もその噂を聞き入れていたので、当然新しい宿へ宿泊することにしていた。

 ゲストハウスに着き、あてがわれたドミトリーのベットに荷をほどき、オープンテラスで一服していた時、突然後ろから声をかけられた。ショートカットの似合うスラっとした女性だった。「今日着いた人?ドミトリー?旅はどのくらいしてるの?」と矢継ぎ早に質問を僕に投げかけた。
僕の返事も待たず「ちょっと来て」とドミトリールームへ連れて行かれた。困惑している僕を見て、「この荷物、あなたのでしょ?」と質問した。紛うことなき先ほど荷ほどきをしたばかりの僕の荷物だった。
「だめだよ。これは」と彼女はやはり僕の答えを待つ前に話し始めた。彼女が指さした先には僕のベットがあり、その上には僕が友人から貰い受けたカメラ、NikonのD60が置いてあった。これがどうやらダメだったらしい。
 曰く、「こんなふうに置いてたら盗まれちゃうよ。盗む方も悪いけど、盗もうと思わせる人も悪い」というのが彼女の持論だった。「日本人宿だからと安心して貴重品を見える場所に置く、そういう気の緩みがいつか事件を起こすことにつながる。これから旅を続けるなら気をつけな」と彼女は僕にそう注意した。「あ、はい。すいません。ありがとうございます」という僕の言葉は、すで寝室を出ていこうとしていた彼女の背中だけがきいてくれた。そして僕は少しだけ旅の防犯を意識するようになった。

「世界中の便器を撮りたくて」
 高身長で、ゆるふわなパーマをかけた青年は僕にカメラの写真を見せながらそう言った。
旅をして、出会ったトイレの便器をとにかく記録しているという。彼のPCのデータフォルダは世界中の便器の写真で埋め尽くされていた。彼は思い出を懐かしみながら、「この便器はマレーシアのショッピングモールの便器だ。これはアフリカのレストランのものだ。形が特徴的だろう?」と僕によく話してくれた。
 僕は便器に対して一ミリも拘りも興味もないけれど、彼の話を聞くたびに少しだけ面白いかもしれないと思うようになっていた。それほどこの青年がとても楽しそうに話すのだった。
「次はこの国にいって便器の写真が撮ってみたい。イスラム教の国は、カリブ海の国はどんな便器なんだろうね」言われてみれば確かに興味深く、そしてとても愉快だった。

「君の旅の目的はなに?」
彼は旅には目的が必要だと言っていた。僕は旅に出ること自体が目的だったので、うまく答えることができなかった。
曰く、「旅に目的があると迷わないですむ。前に進む理由ができる。繰り返される毎日に変化がくるんだ」と言っていた。なるほど、その通りかもしれない。僕は少しだけ旅の目的を考えるようになった。

 彼はブログを書いていた。
見た景色や出会った便器について紹介していた。僕は彼のブログが好きだった。とても詩的で、時に乱暴で、そしてとても素敵な表現をするのだった。僕はカンボジアを出た後も彼のブログは読み続けた。ところがある日、更新が止まった。僕もブログを見なくなり、次第に僕の記憶からも消えた。

 帰国した時に久しぶりにブログを覗くと彼は旅を切り上げ帰国していた。
そして医者になっていた。
彼が旅に出た目的も旅をやめた理由も、医者になった経緯も何一つわからなかったけれど
少なくとも便器はあんまり関係なさそうだったので少し安心した。

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