虎にもなれなかった男とお酒

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ただの戯言

1993年の2月8日のことだった。
僕こと僕は、菊地家の3男としてこの世に生を受けた。

澄み切った空気の中、病院の窓からは雪を被った富士山が見えたとか見えなかったとか。

3回目の出産とは言え、あんたが一番大きかったからしんどかったわ
とのちに母は語る。
ちなみに、弟はふん!と息んだらポンっと出てきたとも語っている。

さて、
菊地家は全員酒が弱い。弱いというよりも嫌いの部類にはいる。
冷蔵庫を開けてもキンキンに冷えたビールが入ってることもなければ、6人家族用の大きな食器棚にお猪口だの徳利だの、ワイングラスなんぞ置いてあることは一度もない。

父親がなんかの拍子にそれなりに値の張るお酒、それはそれは立派な桐箱に入っているようなお酒をもらってきても、誰一人興味を示さず、ついぞその姿を見ることなくそのまま埃に埋もれていく。なんならどうせなら食いもんが良かったと悪態をつく始末。

そんなこんなで僕は生まれてこの方酒とは無縁の人生を過ごしてきた。

もちろん、お酒を嗜むという行為に惹かれたことがないわけではない。
一度は誰でもお酒に憧れるものである。
例に漏れず菊地家の兄弟たちは成人を迎えたのちそれぞれ果敢にお酒にチャレンジしていく。

ある時は正月に、ある時は誕生日に、なにかしらの季節的イベントに乗っかり、あくまで平静を装いつつ「今日はちょっと飲んでみようなぁー」とどこからか手に入れてきたお酒に口に運ぶ。

その後誰一人容器を空にしたものはいない。

横目でそんな兄弟の挑戦を眺めつつ、また一人、挑戦者が散っていったとお茶を啜る。
そしてまたいつもの日常が繰り返される。そんなもんだ。

最終的に菊地家の長男が行き着いたお酒、それは甘酒だった。
とにかく「酒」という字がついていればよかった。なんでもよかった。ただ、酒という字があれば。そう兄は語る。

また、弟は、
なに言ってんだ、やっぱりシャンペンだろシャンペン!といいながらクリスマスの日に炭酸が強めのぶどうジュースを買ってきてその雰囲気を存分に楽しんでいた。もはや酒のさの字もなく、ただ、容器が似ていればそれで良かったのだ。


そして僕はというと、酒という字がついているだけで甘酒さえも拒んだ。
匂いもダメだし、酒というものを遺伝子レベルで拒絶してるのだ。
炭酸も好きではないので、シャンパンだのシャンペンだのそういうものも好まなかった。

そんなわけでやはり僕は酒とは無縁の人生をさらに続けることになる。

とは言え、お酒への憧れを捨てたわけではなかった。
赤く強く燃える火があれば、静かにそしてクールな炎があるように、
僕はその憧れをグッと胸の奥底に潜めたまま少しずつ大人になった。

そして突如舞い降りた天啓。
そうか。お酒は飲めなくても、お酒を作る人になればそれはそれでかっこいい。
字でも容器でもなく、雰囲気だ!これだ!
急に目の前が晴れた気がする。きっと僕が生まれた時の澄み切った空気はこんな感じだったに違いない。
イエスキリストもこんな気分だったに違いない。これぞ神のお告げ。

そんなこんなで、
フレンチレストランのドリンクを作るバイトを始めた。


ファジーネーブルひとつ!
はい!
レッドアイ一つ!
はい!
ブルドック一つ!
はい!

・・・・
なんやねん!
なんでそんなよくわからない名前してんねん!


酒に縁がない生涯を送ってきました。
自分には、お酒を飲む生活というのが、見当つかないのです。自分は東京の都会に生まれましたが、メニュー表を初めて見たのは、よほど大きくなってからでした。(太宰治 人間失格より)

いや、ちがう。こういうことじゃない。なんていうかもっとお酒というのはこう、クールでおしゃれで大人っぽさが大事なはずだ。
決してグラスに塩を塗ったり、トマトジュースをグラスに注ぎたくないねん。

そんなこんなで僕はバーテンダーにもなってみた。

薄暗い雰囲気の中、JAZZミュージックが店内を包む。
カウンター合わせて15席しかないような小さなお店は、
こじんまりとしたビルとビルの間、塗装のはげた螺旋階段を登ったところにあった。

黒いシャツを着て、サロンを巻き、カウンターにもたれつつ、虚空を見つめる。
そんなバーテンダーだ。

カランコロンとドアのすずが鳴る
いらっしゃいませ。カウンターへどうぞ。

サラリーマン2人組がやってきた。

さぁ、ここで、仕事の愚痴だの女の話だのを聞いてるけど聞いてないふりして、気配を消す。
そして「マスター、テキーラを。あと彼方のお客さんにもこれを、、」なんて言われちゃったりーー

すいません。山崎をロックでください。

あ、はい。

え?山崎?だれ?
ロック?あぁ、山崎まさよしか。え、あ、音楽のテンポのはなし??
あれはでもロックなのか?どちらかと言えばブルース・・・

テンパった僕に店長が僕に声をかける。

この前教えただろ!これだよ!
冷静を装いながらグラスを差し出す。


僕にはジントニックを


かしこまりました。

それはもう知ってるぞ!
こうやってグラスに氷を入れて、ジンとトニックを入れてと、あとはこのスプーンでクルクル回して、手の甲にちょんと垂らしてぺろっと舐める。

まずっ!

・・・ジントニックです。


だめだ。このぺろっと舐めるだけでもう限界だ。なんならこれが正解の味なのかも知らない。
知ったかぶりの頂点にして原点。

ちなみに僕がこの仕事を去った理由は、
洗い物の時に、お湯の温度で気化したアルコールが僕の鼻腔を刺激し気分が悪くなったからだ。


そうして僕は悟った。もうお酒はダメだ。


そんな僕もついに避けられない日がやってくる。

その名も飲み会。

次回、飲み会編。

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