人は何かが欠落している。

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ただの戯言

僕は学生時代の大半を長野県長野市、善光寺の裏側にある原アパートという場所で過ごした。

築年数不明の木造で、3LDKくらいの広さ、井戸付きの畑もついて、
月3万という破格の値段だった。

友人のたいらくんと一緒にルームシェアをして、そこで僕は大学生活を送った。

目の前は畑、小さい路地を挟んだ向かいの家は廃墟、そして目と鼻の先にある隣の家ではかつて殺人事件が起きていた。(これは退去後に聞いてちょっとゾッとそした)

冬は寒さで窓が凍り、夏にはみんなで畑でとうもろこしやらなんやら夏野菜を作り収穫祭をした。
また、毎年必ずと言っていいほどスズメバチが家のいたる所に所に巣を作る。
あるとき、退治しようとしてガス缶にライターで簡易火炎放射器を作って火を当てたら木造の柱に火が移り危うく大火事になりかけたこともあった。

また、ある夜にはたいらくん曰く、キョンシーが家の前を飛び跳ねていたという逸話もある。

そんな僕らの原アパートには日々多くの人が訪れ、準住人も何人かいた。
原アパートには鍵をかけないというのが僕らのルールだったので、家に帰ると誰かが勝手にいる。そんな日々だった。

そしてそんな原アパートの住人には一つ共通点があった。
それは、なにかしらの能力がとんがり、代わりになにかが欠落しているということだった。

例えば僕は、割となんでも80点を出すことができるけど人の気持ちがわからなかったり、一般常識を捉える力が欠落している。

たいらくんは非常に優秀でコミュニケーションの化け物だけど、予定管理ができず教育学部にいながら必修の単位を落とし、ギリギリの卒業となった。また、経営者として非常に優秀な数字感覚を持ち合わせ、ビジネスセンスは抜群だが、なぜか体重管理だけはできない。

頭もよく、運動神経が抜群な住人もいた。ただ、抜群がゆえに意識と身体が噛み合わせる能力が欠落していた。野球をしていて、とんでもないファールボールに反応してスーパーダッシュで追いついたが早すぎて逆にボールを追い越して落としてしまう。バットでボールを打つことは難なくできるが、なぜかその打球がありえない角度で真上に飛んでしまう。

誰よりも努力家で、誰よりも真正面で原アパートの誰よりも教員になってほしいやつが、気持ちが空回りして教員採用試験の面接でD判定を受けるやつもいた。
人のことを本当に想い、信頼、そして心配できる、本当に優しい奴もいた。
教育実習中に、毎日友達のこと起こしてあげていたのに、最後の最後の日にみんなに置いてけぼりされて寝坊した。

そんなこんなで僕らの日々は常に何かが欠落していた。
なぜかなぜか毎日が満ち溢れていた。

足るを知る。

そんな言葉あるけどまさにそうなんだと思う。
完璧な人間なんてなかなかいないし、良くも悪くもみんな何かがおかしい。

そのなぜかうまくできない部分を埋めようとして生きるのはやっぱりしんどい。

「ぼくをさがしに」
という絵本がある。僕はこの本が好きだ。

パックマンみたいな、丸いチーズケーキに一切れ足りない僕が主人公で、
この何か欠けている部分のせいで自分は楽しくない。何かが足りないと焦りながら迷いながらそのかけらを探しに行くという物語。
その旅の途中でぴったりのかけらを見つけるんだけど、思っていたものと違う。
結局のところ、その足りてない姿こそが自分のあるべき姿なんだと気づいていく。そんな話。


僕らは何かが欠落している。
些細なことが欠落してることもあるけれど、人によっては生きる上でかなり大変になってしまうことが欠落していることだってある。
僕は社会人としてはなんとかやっていける能力は運良く持っていたが、プライベートの人間関係を上手にまわす器用さなんて持ち合わせていなかったし、笑わせることよりも傷つけてしまうことの方が多かったと思うし、これからも多いと思う。

足るを知る。
欠けているところを見つけることが人生のゴールなのかどうかはわからないけれど、
すくなくとも欠けているところを探しているこの瞬間は間違いなく人生ではなかろうかと思うのだ。

開き直りと受容は違う。
自分はこうだからこんなことしても別にいい。
ではなくて、
自分はこういうのが苦手でできない。そんな自分をとりあえずは受け入れてどう生きていこうかを考えていく。そんな日々を生きようとするのが大事なのかと思うのだ。

30にもなって、こんな青臭いことを堂々と書いてしまうことが
もしかしたら人としての感覚が欠落していると言われるかもしれないけど、
「ついやってしまうこと」はもしかしたら「それを苦なくすることができる」という武器にもなるんじゃないかと思いつつ今日もまた自分の生き方を探していこうと思う。

ということで髪の毛をようやく切れました。

コメント

  1. 朝月 より:

    わたしはあなたの言葉がとても好きなのです。わたしにない感覚を持っているあなたは、欠落なんて思わない。人は自分が守りたいものを守るために、誰かを傷つけてしまう、弱いものでもある。けれどそれでもわたしは、このようなあなたの言葉がとても好きで、救われることもあります。ずっと応援しています。