石を投げることはできても、石を拾うことはできないのだ。
昔、社会の授業で戦争のことについて学んでいた時、
こんな話を聞いた。
日本軍が撤退したことを国民に伝える際に、
「後進」という言葉を使ったというのだ。
撤退ではなく、後進。
その理由は、撤退では負けのイメージがつきまとうが、
後進だとそのイメージは弱く、「進」という字がポジティブな要素をもっているからだと。
そして国民は「やった!後進したらしい!」
と喜んだという。
言葉にはいつだってそんなカラクリが潜んでいるのだ。
よく、自己啓発の本などには
ネガティブなことをポジティブな言葉に言い替えよう!
なんて書かれている。
中途半端→好奇心旺盛
周りが見えない→没頭できる
こんな感じだ。
僕はこの類の言い換えは好きではない。
言葉というものに無理やり服を着せて、
中身はそのままにパッケージだけを他のモノにすり替えているにすぎない。
そんなふうにいつも思ってしまう。
こんな話をするといつだって思い出すのは、詐欺師と、国のお偉いさんだったりする。
彼らは言葉を巧みに使い、
時にはかさましした事実を、時には曖昧な嘘をつく。
でも僕は思うのだ。
それを批判できる権利を、力を
僕らは持っているのだろうか。
彼らが言葉巧みにモノを言えるのは、僕ら以上に言葉を覚えてきて、
使い方を学んできて、努力してきたからなのではないだろうか。
言葉を上手に使うことを非難することなんてお門違いなのだ。
求められているのは
、言葉の意味を知ること、学ぶこと。
嘘つきと批判することは簡単だけれど、
何が嘘かもわからない人だっている。
嘘をつくことは悪いことかもしれないけれど、
僕たちはその同じ土俵に上がることさえもしていない。
誰かが持ってきた石を外から投げることはできる。
でも、その石を持ってくることができる人は少ない。
武器を持つということは、知ることから始まるのだ。
ペンは剣よりも強いのだ。
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