リタリコジュニアからリタリコライフへ異動した話

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LITALICO
Empty asphalt road and New year 2022 concept. Driving on an empty road in the mountains to upcoming 2022. Concept for success and passing time.

2022年、4月1日付けで
僕は正式にリタリコジュニアからリタリコライフへ異動することになった。

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移動の経緯

時は遡り2021年2月。僕はリタリコライフの面接を受けていた。
ところが結果は不採用だった。
理由としては、営業経験どころか社会人経験がない。というのが最大の理由だった。
まぁ、そりゃそうだよな。と思った僕に、ライフではなく、ジュニアにきてくれないか
とジュニアの方から声をかけてもらった。
もともと教育の世界にいた僕は違う世界を見たかったのだけど、
やはり僕は教育の世界に行く運命なんだな、と納得し、僕はリタリコジュニアの一員となった。

ところが去年の11月
リタリコジュニアで働く傍ら、採用活動にも少しだけ関わっていた僕に、リタリコライフが採用活動を始めたという噂が転がり込んできた。
外から人を呼ぶのであれば僕にもチャンスがあるはず。
すぐに人事の人に連絡を入れてもう一度面接をしてほしいと伝えた。

一度不採用になったものの、そこまで熱意を買ってもらい、僕を採用のプロセスへ進ませてくれたのだった。

そして、12月リタリコライフへの異動の内定がでた。

周りの人からは1年で移動するのはもったいない。
せっかく仕事を覚えてきたのに。まだ学ぶこともあるよ。残ってほしい。
などなど声をかけていただいた。
それでもやっぱり僕はチャレンジがしてみたかった。
仕事を教えてくれた同僚に、仲良くなってきた子どもや信頼関係を築き始めてた親御さんたちに申し訳なさを感じたものの、僕は異動をすることにした。

そんなこんなでぴったし1年で僕はリタリコジュニアからリタリコライフへと異動し、
肩書きが指導員からライフコンサルタントへ変わった。

リタリコライフって何をするのか

僕がリタリコライフに憧れた大きな理由は、人生をサポートできることだった。
お子さんの進路や人生のライフプラン、その家族がどう生きていくのかをともに考えることができるというのが僕にとってやりたかったことだった。
学生時代に不登校の親御さんと出会い、お話をして、すこしでもポジティブな影響を与えることがあった。
僕が僕の人生を生きていたからこそできたこと、自分の人生に意味を感じたあの原体験があった。
これを仕事にしたい。もっと多くの人とともに人生を生きていきたい。
この想いがライフへの異動へのきっかけとなった。

それともう一つ。
数字の世界で生きていきたいと思った。
教育は良くも悪くも数字で語ることができず、結果だけではなく過程も評価される世界だった。
僕はこの世界が大好きだし、きっと最後はまたこの世界に戻ると思っている。
だからこそ、数字の世界を知ってみたかった。
実力世界で、顧客をとって、数字をあげる。それが全ての結果で、評価となる。
頑張ったではなく、数字を出したか。その世界を知りたかった。
自分がどこまでやれるのか、あるいはやれないのか。それを味わいたかった。

そんなこんなで僕は念願叶ってこの世界にやってきた。
正直右も左もわからないし、
朝の満員電車に揺られる生活が始まってしんどい部分はあるけれど、
それでもまた一つ新しい世界を知れることにとてもワクワクしているのだ。

今までお世話してくれた人々にたくさんのありがとう。恩を返せなくてごめんなさい。
それでもがんばってこいよって背中を押してくれたみんなにありがとう。
できる限り、自分のペースでがんばります。

僕が大事にしている言葉
「人生を丁寧に生きる」から「ともに、人生を丁寧に生きよう」へ。
少しでもたくさんの人の人生に関われるように。

 

 

 

 

 

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