深夜特急に憧れて 3 (カンボジア編 2)

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コーヒーのお便り

児童売春。
近頃はテレビからでさえも聞かない言葉をその男性はあっさりと言ってのけた。

男性は50近くで、顔は丸く、ヒゲもお洒落とは程遠く、無造作に伸びきっていた、体型もお世辞にも締まっているとは言えず、東京の街中に行けば1日何人にも合えそうな中年だった。
そんな彼がコレクションを自慢するかのよう悪びれもなく、カンボジアの少女の買い方を僕に話し出した。
 曰く、街に行けば、児童売春専門の仲介人がおり、少女が待つ部屋へ案内される。
部屋に着くといわゆる商品と化した少女たちが座っている。気に入った”商品”があれば、その場で仲介人に値段を聞く。納得できなければその場で値切ることも可能なんだという。
少女たちは無言で自分の値段交渉の行く末を見守る。話がつくと仲介人はお金を受け取りその少女と客を車に乗せ、ホテルへ連れていくという流れだそうだ。何も特別な手続きもなく、淡々と行われる。 
 カンボジアに限らず東南アジアでは売春が今も行われている。とりわけタイは売春目的に日本人男性が遊びにいく専用の街がある(日本でいう吉原や歌舞伎町のようなエリアだ)。

 僕自身も興味本位で訪れたこともあるが、怖くて女性を「買う」ことはできなかった。
とは言え、そんなタイの風俗界隈は成人女性が仕事として行っているため、児童売春なんてそうそうみることはない。あくまで「健全な風俗」という体裁がある。ところがカンボジアはそうではなく、売られた少女が商品として並ぶ。
国として貧しく、観光客が来るほど知名度も高くないため摘発されることもなく、「安全に非合法の売春」が行われていると言うのだ。しかも、非常に割安で。
ここは天国だよ。そう言ってのけた彼の表情には「人間さ」が滲んでいた。

さらに男性に話を続ける。
男は季節労働者で半年ほど働いたらそのお金で残りの半年をこのカンボジアで過ごすと言う。
僕が泊まっていた宿でさえ一泊3ドルという値段で、1日1000円あれば十分に生きていけるのがカンボジアの物価だった。
男は半年間ハンモックに揺られ日々を過ごし、気が向いたときに少女を買う。
お金が少なくなっては日本に帰りまたお金を稼ぐ。そんな暮らしを数年続けていると言う。
その男の暮らし方が良いとか悪いとか、羨ましいとか醜いとかそういうことを判断する物差しを持っていなかった僕は「はぁ。」と生返事するしかなかった。

 一度その男性に風俗街に一緒に行くか?と声をかけられた。正直って、興味がないわけではなかった。どんな世界が広がっているのかという好奇心は確かにあった。だけどその世界に行くともう戻って来れない気がして、断った。
 その代わり他の旅人とハンモックカフェと呼ばれる湖の辺りのカフェへ行った。
 シェリムアップにはカンボジアの心臓と呼ばれる「トレンサップ湖」がある。その大きさは琵琶湖の10倍以上の大きさを誇る。カフェはその湖に京都の川床のように乗り出す形で立っており、ハンモックはその先に設置されていた。湖には水上生活者がおり、イカダやボードの上で暮らしていた。住民の買い物は湖の上で行われる。無数に浮かぶボートの中にお店のボートがあって、買い物客は自分でイカダを漕いでそのボートに近づき買い物をするのだ。

まだまだ知らない世界がある。
少女を買う人間の世界や湖の上で暮らす人たちの世界を僕は知らない。
 ただ、少しだけ自分の世界とそうじゃない世界の線引きが見えたような気がした。川床のように少しだけ身を乗り出すことはあっても必ず自分の世界とつながっていることが安心につながっている。
それがバンジージャンプの紐のように乗りだした僕を元の世界に引っ張り戻してくれるのだ。

好奇心の世界と自分の世界、その間にある境界線。
その紐を自ら切らぬように旅を続けよう。

そう思って僕はハンモックに揺られながらたいして美味しくもないコーヒーをお代わりした。

 

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