深夜特急に憧れて9  (ベトナム編4)

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コーヒーのお便り

人間というのは不思議なもので理解できないことが起こると
思考はフリーズする。

さっきまで、あの女性と出会うまでは確かにリュックに入っていたはずのカメラや貴重品が忽然と姿を消していたのだ。
状況的に見れば明らかに盗まれたのであるが、あまりにもいろんなことが起きていた状況で、僕が出した結論は、
「お昼ご飯食べた時に置いてきなのかな?もしかして宿においてきたのかな?」
という現実逃避だった。
むしろあの女性のグループに盗まれたという現実を拒否していた。
 思考停止のままホテルに戻るが荷物は当然のことながら無く、今日歩いた全ての道を歩き直したがもちろんそこにはあるはずかない。
冷静になり、久しぶりに「感情」が戻ってきた。
そしてその感情というのは悔しさと怒り、そして「焦り」だ。
100歩譲ってカメラなどはいい。
ただ、カードを盗まれ財布も盗まれた僕に残されたのは非常用に隠し持っていたごくわずかの現金のみだった(パスポートは無事だった)。

基本的に海外で盗難にあった際、保険に入っていればその被害を補填してくれる。
ただ、そのためには「ポリスレポート」と呼ばれる警察が作成する報告書を保険会社に出さなければならない。僕はクレジットカードにその保険がついていたのでなんとしてでもポリスレポートはが必要だった。
 夜、人に道を聞きながら薄暗い交番のような場所へ行き、英語を僕以上に話せない警察と話すと「知らない。何もできない。早く帰れ」これが警察の答えの全てだった。
最後に「外国人のことは助けてくれないのか?」
と聞くとはっきりと「YES」と笑いながら言われた。

 途方に暮れた僕は警察を出て、手当たり次第高級ホテルへ向かった。もしかしたら日本語が通じる人がいるかもしれない。助けてくれるかもしれない。そして数件回った後、日本語を話せる方に出会った。ポリスレポートは警察にしか作成できないが、ベトナムで盗難にあったという証明書のようなものの作成はお手伝いできるとのことだった。
その方のご好意で、ホテルの秘書サービスを使わせていただいた。僕には似合わない位ほどの高級感と静寂が溢れる秘書室に案内され、僕はそこで英語で事情を話し、秘書の方はそれをベトナム語に訳して書類を作ってくれた。
そしてそのホテルの署名まで入れてくれた。今思えば名前も知らない放浪者のただの下心から生まれたトラブルによく向き合ってくれたと思う。感謝しきれない。

 そんなこんなで証明書のようなものを手に入れ、気持ちは落ち着いたものの、僕は旅が続けられるかどうかを真剣に考えなくてはならなかった。
旅の工程も残り20日程度残っており、残された所持金は10日分ほどだった。しかも異国の地で、これからあと2カ国超えなければ帰国便の出るタイへ戻ることもできないため、移動費もかかる。やばい。かなりやばい。
 このまま、またカンボジアを通ってタイに戻ってどうにか生き延びるか、このまま旅を続けてラオスまで入り、タイに戻るか。幸いなことにベトナムからラオスまでの夜行バスのチケットは既に買っていたので進むことはできる。

悩んだ挙句、僕に一つアイデアが生まれた。そういえば東南アジアを旅したいと言ってる日本の友達がいたのだ。その友人をこっちに呼んで助けてもらおう。
僕はすぐさま連絡し、東南アジアに遊びに来なよ!と軽々しく誘うと、
「菊地いるなら行くわー」と即決してくれた。友人ながらそのフットワークの軽さは尊敬に値する。
「マジで?その時さーちょっとお金持ってきてくれない?実はさー。。。」事情を話すと電話口で爆笑し、「おっけー。ラオスで落ち合おう」という映画さながらの展開となった。
ラオスさえ行ければ。とにかくそこまでお金を残しつつ出会うことができれば僕はまだ旅を続けられる。。。そんな他人任せの微かな希望であっても僕を奮い立たせた。

宿で明日の出発の準備をしていると、同室のポーランド人のおっちゃんから話しかけられた。「みてくれよ。これが俺のファミリーだ。こいつが奥さんでこいつが娘だ。かわいいだろう?」正直、人の家族の写真を見せられても笑える状況ではなかった僕は引きつったリアクションしかできなかった。
その様子に気づいたおっちゃんが「どうした?」と事情を聞いてくれたので全てを話した。そうするとおっちゃんは「今から街に行こう。ベトナムを嫌いにならないためにも美味しいものでも食べよう。おごってやる」と僕を街へと誘った。
ホテルの人もこの人も世の中にはなんて優しい人がいるのだろう。
そう思いつつ、僕は夜の街に繰り出し、あれやこれやと飲み食いした。
そして夜も更けたころ、意識を飛ばしてしまった僕はおっちゃんに肩を抱き抱えられながら宿へを戻り、一晩中幻覚と幻聴、耐えがたい喉の渇きなどこの世の地獄を味わった。

そんなこんなで僕はその日から1日パン1つ生活を強いられながらもベトナムを縦断した。
多くの人にも出会った。ドイツ人のとってもかわいい子とバスが隣で仲良くなり、恋もした。そして後日その子ととある遺跡で偶然再会するなどのロマンチックなこともあった。
お金がなさすぎて屋台で値切りすぎてキレられたこともあった。
気付いたらこの頃には英語も困らなくなっていた。

そして僕はついにラオスにたどり着いた。
ずっときたかった国。ラオスへ。


次回ラオス編突入。

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