僕は人生についてこのように考えている。

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ただの戯言




「世の中には直面するのを楽しみにしたい”問題”がある」


このような書き出しで始まる本がある。



ほう、、、
楽しみにしたい”問題”とは。。。いかなるものか。

今日はこんな感じで徒然なるままに始めていこうと思う。

久々に書くのに、
内容が非常にしょうもないのはお許しください。

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楽しめる問題とは



さて、冒頭の本の続きは
以下のように続く。

「旅に出るときにどんな本を持っていくか、
という問題なのは非常に難しいけれど、非常に楽しい問題であり、
わたくしなんぞは何時でも何回でも直面したい」


(椎名 誠 「活字のサーカス」より引用)


ふむ。
言い得て妙、である。


一般的に”問題”というのはすべからく敬遠されるものではあるが、
なるほど、このような問題なら歓迎されるかもしれない。

しかしここで立ち止まる。
では僕にとって歓迎される問題とはいかなるものなのだろうか。


いくつか考えてみようか。

進路


ふむ。。
正直なところ、
できることなら考えたくないものである。

進路、もしくは仕事を考える時、
否応無く、自分の「できること」「できないこと」

すなわち自分の限界というものに直面する必要がある。

これがどうにもしんどい。

「はい、あなたはダメですね。向いてません」

と、人から言われるならまだしも、

もう一人の僕がじっとりと背後から囁いてくる。
うーん。しんどい。

何がしんどいかって、
自分自身もどっかでそれをわかっていることで、
ごまかしと言い訳が通用しないということなのだ。

・・・やめよう。
進路を考えても楽しいことなんてありゃしない。


もっとも、「やりたいこと」を考える時、
これはなかなかに楽しい。

できる、できないはひとまず棚に上げ、

「やりたいこと」だけで考えると確かにまぁ楽しい。

そう思うとアリかもしれない。


そこにどこまで具体性と現実性があるかには
目を向けないことが大前提としてあることは間違いないが。

恋人



恋人を選ぶ、すなわち異性を好きになる。

これほど楽しく、
歓迎すべき問題が他にあるだろうか。

その人に対して、
どのような文章を送ろうか、

会う時に
どのような服を着ようか、

どこに行こうか。

普段なら考えることさえ億劫な問題が、

その人を媒介とした途端に蜘蛛の子を散らすように、
雲散霧消、いやそれどころか、その後に花が咲く。

なんて楽しいことなのか。
これか。

これこそが僕が歓迎すべき問題なのかもしれない。


・・
いやまてよ。話はそう単純ではない。

そもそもその異性に出会うまでが大変だ。

ビビっとくるような異性を探すために
街中をきょろきょろするもの
社会の治安のためにやめたほうがよさそうだし、

なにより、
街中を目を皿にして徘徊するような、
そんな人を好いてくれる人など稀有である。

いや、
よしんばそういう人に出会えたとしよう。

その人と良好な関係になれるかというのは、また別の話である。

返事がこない夜を過ごし、
まだ返事がこない朝を迎える日々が続くかもしれない。

そんなのを楽しめるのだろうか。

異性との楽しい日々は、苦労した後に来るものであって、
やはり最初はそのハードルを突破しなければならないのである。

うん。これもまた大変だ。
やめておこう。
僕にはまだ荷が重い。

住む街


これならいけそうだ。

何を隠そう、僕は街中の不動産屋さんの
賃貸情報を見るのが大好きである。

出先でも賃貸情報をみては
もうちょっと広かったらいいなぁ、

トイレとバスはやっぱり別がいいよなぁ。。

ほう。駅から徒歩5分か。住みやすそうだ。
なになに、共益費が、、、

なんてあれやこれやと妄想を膨らますのである。

このひとときが実に楽しい。

どこに住むか、という問題は

確かに直面するのが楽しい問題と言えるかもしれない。


いや、まてよ。
確かに物件情報を見るのは楽しいが、

いざ引越しとなると、話はそう簡単じゃない。
なんにせよ手間がかかる。

引越し業者のことやお金のこと、
地味にめんどくさい問題もついでに付随して来る。

なんてことだ。
楽しい問題に出会おうとすると、
それに付随してめんどくさい問題までついて来る。

そういうのは求めていない。
もっと楽しい問題だけ楽しみたいのだ。

やめよう。
これもまた僕にとって直面したい問題ではない。

趣味は趣味として、
そばにそっと置いてるほうがいいこともある、ということだ。

晩ご飯の食べ方

これか。
これがおそらく僕に残された唯一の楽しめる問題なのではないだろうか。

晩ご飯のおかずをどこから食べるか。

たかが晩ご飯、されど晩ご飯。

晩ご飯というのは僕の中でかなり重要な問題である。

というのも人間は基本的に朝、昼、晩と三食食べるのが常である。

そして晩ご飯はその1日の食事の総括的なポジションである。


終わりよければ全てよし。

晩ご飯に満足できればその日全てが満たされると言ったら過言だが、
まぁ、そんくらいの価値はある。

一方で、もしその晩ごはんに満足できなかったら、、、
その日1日の後悔を背負って布団に潜り込むこととなる。

そして当然、
次の日のご飯まで、何も食べるわけにはいかない。

そう。
要するに、晩ご飯というのは重要なのだ。

そしてその晩ご飯の満足度を左右する
食べる順番というのはかなり重要であり、

楽しい問題と言えるのではないか。

これだ。
見つけたぞ。
これこそが僕が楽しめる問題だ。


・・・
いや、ちょっと待てよ。
振り返って見ると、
僕の晩ご飯は基本的に全てごちゃ混ぜにしている。

というのは僕は住んでいたパナマの食文化は
基本的に全ての料理を一箇所にまとめて一気にかき込むするタイルだ。

僕は最初抗って日本人は一つ一つお皿を用意して、
食べるのだと熱弁を振るったが、

パナマ人から「日本人は皿洗いが好きなんだね」

という最上級の皮肉に心を打ち砕かれ、
気づいたら自宅にお皿が2枚しかない生活を1年半続けることとなった。

そういった経緯を経て、
その癖がいつも続いている。

そして気づく。
なんて皿洗いが楽なのだろうか、と。

そして基本的に全部かき込むスタイルだと、
たとえどんな晩ご飯でも大差がない。

基本的に
うん。うまい。


程よい満足で終わってしまう。


だめだ。
晩ご飯でさえ、満足に問題に直面できない。

一体僕はどのような問題なら楽しく直面できるのだろうか。


もしかしたらこうやって、
『問題がない』ということをあれやこれやと考えるのが、
僕にとって直面したい問題なのかもしれない。



知らんけど。

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