フリースクールの意義とはなにか。

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教育哲学






講座のコンセプト




この講座のコンセプトは、

みなさんの(教育)哲学に対する
イメージを、


「わからない」




から





「わかったようなわからないような」





というステップまで引き上げるという



エコ、低姿勢、低ハードル

です。

さらに付け加えるなら

言い訳満載です


です。


 



はいみなさん
こんにちは。


初心者のための教育哲学講座です。


前回に引き続き、

今日も


フリースクール


についてやっていきましょう。



え、もう飽きたって?




あっはっはっは


大丈夫。僕もです。


ということで、

いったんこの回で

フリースクールあれこれは終わりましょう。


今日は、


フリースクールの意義


について

解説していきます。



前回の記事



フリースクールの歴史みたいなものを紹介しましたが、

では、

今日のフリースクールの存在意義は
どのようなものなのでしょうか?



これが、
今回のメイントピックです。



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今日のフリースクールの意義



様相の変化


えー
ここはまぁ、前回の復習でもあるので、
サクッと論文から引用しちゃいます。


(あ、今更だけど、ちょこちょこ引用しているこの論文、
僕が書いたから無断転載とかじゃないからね!!!)





日本のフリースクール運動の拡大は不登校問題と関係を強く持ち展開されてきた。徳留(2001)は、諸外国におけるフリースクールは正規の学校に代わる独自の教育を行う場所とする一方で、日本のフリースクールは、不登校や高校を中退した子どもを受け入れ、彼らの居場所や学びの場としての意義があるとしている。つまり、諸外国のフリースクールと比較して、日本のフリースクールは主に不登校生を対象にした居場所としての側面が強く、この点が諸外国のフリースクールとは異なっている。
 しかし吉井(1999)が、「日本のフリースクールは不登校問題を契機に設立されたが、しだいにその様相は変化していった」と述べているように、日本のフリースクールに対する認識やその意義は次第に変化してきている。




。。。

ま、要するに、
もともと、

「不登校の子どもたちの居場所としての意義」


を持っていたフリースクールが、

だんだん変わり始めたよ

って話です。




ちなみにですが、

フリースクール界隈では、

この不登校の受け皿としての機能を持つフリースクールを


日本版フリースクール

と称しております。


まぁ、これをどう捉えるかは置いといて、



とにかく、日本のフリースクールは
独自の歴史を歩いてきたということです。



はい。


さて、そんなフリースクールが

少しずつ、
その機能から脱却し、
新しい境地に向かいだします。


じゃあ、どんな境地に向かっていったのか。

現在は以下のように大きく分類されています。



フリースクールのタイプわけ

現在、
フリースクールは


大きく分けて


3つのタイプに分かれてます。




①「不登校生・中途退学者の癒しとなる居場所を提供する「不登校問題志向」









②既存の学校とは違う新しい教育理念と方法を掲げる「新しい教育志向」









③補習、進級、進学のための学習をサポートする「学習サポート志向





この3つ。

一つ目


従来の「日本版フリースクール」とも言える、

居場所を提供するモノ。



まずは子どもたちが安全に過ごせる場所が必要だ。



という思いは根強く、
フリースクール運動が始まった80年代から
脈々とそのDNAは受け継がれているわけですね。



2つ目


新たな学びの場としてのフリースクール。


これが近年に出てきた、新しいタイプのフリースクール。


居場所として、だけでなく、

公教育ではできない、
カリキュラムに縛られない

新しい学校の形、

それを目指して設立されてきています。

一例を挙げるなら、
大阪にある、

「箕面こどもの森学園」がこれにあたるかと。


ちなみに、
同学園は以下のように語っております。


『画一的な授業形態による、受動的な態度』を問題視し(中略)
自発的な学びを重視している」
と述べ、同学園が子どもの主体性を重視している。

さらに、同学園の設立趣意書には
「私たちは、子どもたち自らの意思で学ぶ新しいタイプの学校を構想しました(中略)

そこで教師の役割は、将来必要になる知識や、技術を教え込むことではなくて、

子どもたち一人ひとりの自立的な成長のプロセスを支援することにあります」


と明記されております。


やっぱり、一般的な学校での教育ではなく、
独自の理想の教育を追い求める。そういう場としての
フリースクールがあるわけです。はい。


3つ目。



これはまぁ、なんというか
塾みたいなものと考えてもらっていいです。


前もお話ししたように、
フリースクールってのは明確な定義がないため、

誰でも、どこでもできます。


だから、
学校に行けない子どもに対して、


受験や、進学を目指して、
学校の勉強を教える、



というのもまた

フリースクールの意義でもあるわけです。





ということで、
現在のフリースクールの意義をざっと眺めてみました。


どうでしょうか、

へぇー
そんな感じなんだなぁ。。

って思っていただければそれで十分。





じゃ、最後にちょっとだけ、面白いお話をして、

終わりにしましょうか。



ここから先は少しだけ、

込み入ったお話。


もう飽きた人は閉じていいよー。





おまけ『フリースクールの隠れた意義』


日本のフリースクール運動が

最終的にはどこを目指しているのか。


これってすごい大事なことなのです。

はい。
僕的には。


実は、

日本のフリースクール運動の目的の一つは、

フリースクールを多様な教育の場として位置付けることであるのです。


そんでね、

すごいのは実際にそれをやってのけた。ということです。

(もちろんまだ道半ば、だけれど)

例えば東京シューレは
理念をそのままに、制度的に認められている中学校を作ったし、



「多様な教育機会確保法」

要は
フリースクールを一つの学びの場として認めていきましょう、


みたいな趣旨の法案も出てきたし、


新たな可能性がガンガン出てきてるのさ。


だからこの先、
OOフリースクール卒
というのが認められてくる。

そんな時代がやってきてもおかしくない。

これってすごいよね。





社会を変えたわけですよ。

はい。


じゃあ、なんでそんなことを目指したのか。



その背景には、こんなのがあった。


フリースクールを学校として認めていくという方向性には

やっぱり賛否両論があるんだけど、


今まで敵だった学校の傘下に入るのか!!

みたいなね。

でも、


フリースクールの生みの親である二イルさんは、

「制度に対して戦う最善の道は、制度の中に入ってしまうことです」

と言っている。

ということで、

まずは入ってみよう。
そういう流れになった。


そして、


今あるフリースクールの教育を社会に認知させ、


既存の教育制度に対して多様化を要求しよう。


となった。


だからこそ、

このフリースクールの動向は、

学校の傘下に入るのではない!


いいか?
フリースクールは!


学校教育の枠に収まるのではなく、

その枠を広げていくことを目的としているのである。

と宣言しているのです。



そんでもってそれは、

「既成の公教育の否定ではなく共存」であり、


そのため既存の学校教育の代替でも補完でもなく、

並列した存在として位置付けられること

を意味しているのである。


という。
そんな流れがあります。



えーっと

要はね、

フリースクールの意義というのは、

社会へ公教育の 多様化を要求することなのです。



超ざっくり。。。笑


ここらへんは本当に込み入ってるから、
2記事分くらい書かないとちゃんと説明できないから
ごめんなさい。

でも僕が一番アツくなったところだから紹介してみました。
はい。


まとめ

 

あー
やっぱり長くなっちゃった。


ま。そんな感じです。





どうでしょうか。

フリースクールのこと少し知ったような気になりました?




わかったような?




わかったようなわからないような?




それでいいんです。

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