初心者のための教育哲学ー不登校とはなにかー

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教育哲学

 



・本講座のコンセプト




この講座のコンセプトは、

みなさんの(教育)哲学に対する
イメージを、


「わからない」




から





「わかったようなわからないような」





というステップまで引き上げるという



エコ、低姿勢、低ハードル

です。

さらに付け加えるなら

言い訳満載です


です。


 



はいみなさん
こんにちは。


初心者のための教育哲学講座です。



本来ならば、教育のあれこれを哲学して行く、

というのがこのシリーズの趣旨なのですが、

今回はちょっとだけ概論的な形にしたいと思います。



今日のテーマは


不登校とは何か





という話です。



なぜこのテーマにしたかといいますと、


最近ツイッター界隈で


不登校は不幸じゃない


不登校という生き方


そして同時に公教育(主に学校に対する)批判




をよく見かけることが増えました。



多くの人が概ねこう言った意見に賛同しているように
見受けられます。

しかしながら


はたして


そもそも不登校とはなにか



ということを知っている人はどれだけいるのだろうか。



と思い立ち、筆をとった次第でございます。




一応、僕の専門は



フリースクール


なので、
不登校というテーマにも通ずることがあるかと思いまして。


ま、そんなこんなで、


今回はちょっとだけ、
基礎的な話を含めて


不登校とは何か



ということに触れて行こうかと。





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不登校についてのあれこれ

 

 

不登校児童とはなにか

 


えー
そもそも「不登校」の意味するところはなにか、
という話ですが、


読んで字のごとく、


「不」「登校」(者)

な訳です。

すなわち


学校に行っていない子ども

(主に義務教育段階の子どもを指す)


のことですね。


まぁ、この「不登校」という言葉自体に

学校に登校することが前提

である言葉として、

批判の対象になっておりますが、
今回はこの言葉を使用したいと思います。

ちなみに類似の言葉で言われているのは

登校拒否(児童)ですかね。


不登校者数


えー
僕が論文を書いてた時に調べたデータを引っ張ってくると、

(「文部科学省学校基本調査」より)


平成27年度に公表された文部科学省による学校基本調査では、平成27年度間の長期欠席者(30日以上の欠席者)のうち,「不登校」を理由とする児童生徒数は,小学校2万6千人、中学校9万7千人であり、義務就学期間における不登校生は、約12万人に及ぶことが明らかになっている



となっておりますが、

最近ちらっと同ページをみたところによると、


約13〜4万人程度

と言われていますね。


子どもの数が減ってきている一方、


不登校者が増えている。




となると相対的にすごいスピードで



不登校者が増えている


ということができますね




まぁ、ここまでが基礎情報ですが、

ではそもそも不登校はどうして生まれたのか、

という話をして行きましょうか。




不登校の誕生

 

不登校と高度経済成長期


不登校の誕生と書いても、

この瞬間に誕生した!!なんて言えやしないので、


”社会的に”誕生(注目された)


という観点から

述べて行きたいと思います。



ここら辺は

一気に話が固くなっちゃうので、



データとか社会背景なんてどうでもいいや



って人は飛ばしてね。




不登校が社会的に注目されてきたには
はっきりとした理由があります。

それは高度経済成長期です。



簡単な言葉で説明したいけれど、
とりあえず後回しにして、

基本的な話を
僕の論文から引用することにします。





1960年代から70年代にかけて日本は高度経済成長期であった。高度経済成長期の日本は豊かさを求めて開発をすすめ、まさしく「もはや戦後ではない」状態に発展を遂げていた。しかし、奥地ら(2000)が指摘するようにその開発、発展の歪みは子どもたちに負わされることになる。なぜならば、「産業構造の変質は高学歴社会を生み出し、少しでもよい学校に進学し、高い学歴を身につけ、給料のよい会社に就職するのが夢とされるようになったから」である。したがって、当時の学校教育現場では競争原理が横行し、子どもたちは大量の知識を覚えなくてはならず、「落ちこぼれ」がでるようになった。当時の授業は「新幹線授業」と揶揄されることがしばしばあるが、それほど授業の進展は早く、子どもたちは塾などに通い、学校外でも予習復習を余儀なくされることとなる。さらに、子どもたちに知識を効率よく注入するために、当時の学校現場では一斉的、画一的な授業が蔓延し、管理的な教育が推進していく。

 そして、1970年代から80年代にかけて、学校では校内暴力などの荒れが増加、深刻化し始める。その背景には、当時主流だった管理的な教育に対する子どもたちの反抗の表れがあったと汐見(2016)は指摘する。汐見によると、そのような子どもたちの反抗に多くの学校は規則を厳しくするなどの力の理論で対抗した。そのため、子どもたちの反抗の矛先は学校からクラスメイトへと向き、「いじめ」という形で表出し始め、その結果、自己防衛機能としての登校拒否が急増した。また、佐川(2009)も不登校の生徒の数は「1975年を境に増加し始め、(中略)その要因は、家庭の経済的状況というよりも、同時期における教育の競争化や生徒管理の強化といった学校環境の抑圧空間に求められる」と指摘している。このことからもわかるように、子どもの不登校の直接的な原因の一つとして挙げられるのは、管理的な学校教育を端緒にした子どもの学校に対する拒否反応であるといえる。

 


。。。。
ということです。


まぁ、噛み砕いていきましょうか。




要は、

1960年代から70年代

日本は


いけいけGOGO


だったわけですね。
馴染みのある言葉で言ったらバブルです。




企業はどんどんと成長、拡大していきます。


もっとお金を稼ぎたいわけです。




そのためには、



優秀な人材が欲しい。

となるわけです。



そこで、その要求が学校へと間接的に届き、




多くのエリートを輩出することが学校の目的となります。




そのため、



優秀な子どもを引っ張り上げ、
そうでもない子どもは捨て置く。




一気に効率よく授業を進める必要があるため、

画一的な授業が横行する。





という日常が始まったわけです。


このような学校教育が横行したことから、





落ちこぼれ





という言葉が生まれ、






子ども同士は

全員ライバル




蹴落とし蹴落とされ、

生き残りをかけたバトルロワイヤルが始まるわけです。



そこに耐えきれなくなった子どもが
一気に急増し、不登校が注目され始めた



ということなわけです。

はい。





そしてそのような社会背景、



社会が欲しがる人材になれ!頑張れ!努力しろ!勉強しろ!



だったので、

学校に行けなくなった子どもには、



不登校は甘え、


とか



怠け


とか

ついていけない落ちこぼれ

とか



そういうレッテルが貼られるようになったわけです。



そんで

今もなおその余韻が残っている

と言ったところでしょうか。



ま、一番覚えといて欲しいのは、

不登校というのはそれ以前にもたくさんいました。

でもそれは、戦後で親の仕事を手伝わなければいけない、
とか

お金がない、

とかそういった家庭的な理由がメインでした。

しかしこの時代から



家庭の経済的状況というよりも、
同時期における教育の競争化や生徒管理の強化といった
学校環境の抑圧空間に求められる


というように、学校や教育そのものに原因が移って行くわけです。


えぇ。
面白いですね。



不登校と国の関わり

じゃあ、
そんなに不登校児童が一気に増えた時、

国はどう思っていたか、

という話をしましょうか。




普通の感覚であれば、

学校が荒れ出して、
学校に行けない子どもたちが増え始めたら



あ、やべーな。どうにかしないと。。。。

と思うのが普通ですが、


ところがどっこいこむすびさん。




日本政府はそんなに優しくなかったんですね。


どういうことかといいますと、


こんなことがありました。

またもや引用



1988年の9月16日のことである。その日の朝日新聞の夕刊トップに「30代尾引く登校拒否症、早期完治しないと無気力症に」という記事が載った。さらに、佐川(2010)が「不登校は行政や、精神科医らによって治療対象、あるいは『怠け』として否定的に捉えられ、その原因が個人の性格に還元される傾向にあった」と述べているように、当時の不登校に対する眼差しは否定的であった。実際に1983年に文部省は、不登校は、子ども自身に登校拒否の下地がすでに備わっており、それが何かのきっかけで登校拒否を引き起こすと考えられるとされる趣旨の登校拒否に関する手引書を作成している。その中で、養育者の性格や教育がその子どもの登校拒否の下地を作る可能性があるとも明記された





えー
僕の拙い文章を理解できる方なら
びっくりするかと思いますが、


とんでもないこと、やっちゃったんですね。国(文科省)は。



まず一つ目。




新聞に、



不登校は病気だ


って書いちゃったんです。



治療対象、

つまり、

さっさと治療しないと、


しょうもない怠けの大人になるぞ。



そしてその病気の原因はお前じゃ!!



こんなこと書いちゃうわけです。

でもそれがまかり通るような社会だったのです。


実際、これで社会を批判する人は少なく、

どちらかというと、


鵜呑みにし、




我が子を無理やり学校や、


精神科に行かせようとする


保護者が増える



そういう時代だったわけです。


これだけでも恐ろしいのは、

最後に書いてある、


不登校は、子ども自身に登校拒否の下地がすでに備わっており、

それが何かのきっかけで登校拒否を引き起こすと

考えられるとされる趣旨の登校拒否に関する手引書を作成している。

その中で、養育者の性格や教育がその子どもの登校拒否の下地を作る可能性があるとも明記された


の部分。


これはマジでやばい。



繰り返しますが、これ、



どっかの新聞じゃなくて、文科省(国)が書いてますから


どういうことかと言いますと。


不登校は、その子どもに原因があり、


不登校になる素質を持った人間がなるものである、


と。



さらに!!






その素質生み出す原因は家庭にある。




と。


ま、ま、

とりあえず落ち着いて検討しましょう。




この文章から少なくとも2つのことがわかります。



一つ目。

不登校の原因は

各個人、そしてその家庭にある。


つまり、


学校は一切悪くありません。


って言い切っているということ。



そしてもう一つ、




子どもの不登校の原因が
親の教育にあると書かれています。


この発言により、
多くの保護者が、


あ、私たちの教育が間違っていたんだ。

原因は私たちにあるのか。

となります。


そしてそれは同時に



となりの保護者さんから
私の教育は間違っていると思われる。





という風評被害のようなものが
出てくる。





ママ友とかそんなこと言ってる場合じゃないですよ。




その結果、


家庭内環境の悪化が容易に想像できます。


そして、


そのしわ寄せは

全て子どもに行くわけです



自分の教育が間違っていないと思いたいから

無理やり学校に行かせる。



周りの目を気にして

無理やり学校に行かせる。



これが日常化していく。


あー恐ろしい。




そしてここら辺から、

戸塚ヨットスクールのような


無理やり学校に行かせる矯正施設がどんどんできてくる。


保護者は


子どもを学校に行かせなきゃ




不登校の子どもが自分の家にいることがばれたくない


という思いから

こういった矯正施設、もしくは病院に入院させる
保護者が増えたりするわけです。




そして悲しい事件までおきてしまう。

この事件はスパルタ教育が原因ですが、


それが許される、

むしろ


厳しく指導してくれという要望が


社会的に求められていた。




こういう時代だったわけです。





まとめ

 


どうでしょうか。

基本的に
これが我が国の「不登校」の歴史とその社会背景です。


今じゃ信じられないことばっか起きています。


でも

たった
3〜40年前。



そして当時の子どもだった人が

今や、家庭を持つ世代となりました。


もちろん、今は当時とかなり社会的背景は変わってきています。


文科省だって、
考え方を改めています。

不登校は誰にでも起こりうるもの

という趣旨の

しっかりとした文章も公表しています。

そしてその反省として、

ゆとり教育が導入されたりしてます。



あ、そうそう、ゆとり教育って

このはちゃめちゃだった時代の教育を
反省して生まれたものですよ。



じゃあ、どんな風に変わってきたのか。


変わるきっかけはなんだったのか、


というお話は、、、、、

読みたい方がいれば、

書こうと思いますので、


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コメントでもくださいな。




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