初心者のための教育哲学講座ー哲学とは何かー

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教育哲学




本講座のコンセプト


この講座のコンセプトは、

みなさんの(教育)哲学に対する
イメージを、


「わからない」

から


「わかったようなわからないような」



というステップまで引き上げるという



エコ、低姿勢、低ハードル

です。
さらに付け加えるなら
言い訳満載です


です。



さ、ということで、

記念すべき第一回、始めていきましょ。

今日のテーマは

哲学とはなにか。

です。

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哲学とは何か

 

まずはじめにみなさんは
哲学という言葉を聞いたことがありますか?
おそらく、ほぼ全ての人間が一度は耳にしたことがあると思います。
にも関わらず、

哲学とはなんですか?

と問われた際、
確固たる自信を持って答えられる人は
ごく少数だと思います。

なぜこのような状況が生まれるのでしょうか。

そこには
哲学の曖昧性がある。
と僕は考えています。



哲学の曖昧性

哲学には
面白い特徴があります。


それは、

哲学の解釈は
個々に委ねられている
ということです。


どういうことか。


要は、
人によって哲学の捉え方が異なるということなのです。


人それぞれ違う解釈をもつことが許されている。
これこそが、哲学の曖昧性なのです。

数学界隈ではこれが許されておらず、
1+1は必ず2にならなくてはなりません。
しかし、哲学は個人の解釈でOK。


例えば、
かの有名な教育学者(哲学者)
苫野一徳は
哲学を

「さまざまな物事の“本質”をとらえる営み」


として捉えている。
引用URL

また、かの有名な哲学者である、

バートランド・ラッセルは

普段の考えの根本にある曖昧さや、混乱を
一つ残らず見て取った上で、批判的に答えようとすること」

(バートランド・ラッセル 『哲学入門』より)

述べている。


そして、
暇人である僕は

哲学を

「うーん。まぁ、色々と考えること?」

と考えているらしい。

と、いうように、哲学とやらは、

どうやら人によって異なる捉え方をしているように思われる。

うん。だからまぁ、なんでもいいよ。

みんな違ってみんな良い!

友達百人!!わっしょい!


・・・



・・・・



という結論には至らないのが

哲学の面白さなのです。




なんなら哲学は
そんな曖昧な結論を許してはいない!


どういうことか、

もう少し具体例を見てみよう。


哲学の本質

 

「哲学」の本質を考える、
つまり、哲学とはなにかを捉えるためには具体例があったほうがいい。

例えば、
「時間とは何か?」
「愛とは何か?」
こういうことを考えるとする。

もちろん
時間や愛に対しての感覚というのは人それぞれ。

曖昧性があるよね。ここまでは哲学は許してくれる。
でもこれを結論にすることは許されていない


この人それぞれという前提を踏まえながら
自分なりの

「愛とは・・・」
「時間とは・・・」

の答えを

少なからず探そうとする。


実はこの過程に、

「哲学とはなにか」
を掴むヒントがある。

つまり、

「愛」や「時間」を考える時、自分にとって「愛」や「時間」は

何を意味するのか、
何が重要か、

すなわち、
「その中心を担うエッセンスとは何か」ということを
知ってかしらずか、人は模索する。
この行為こそが
哲学なのである。


ここで、先ほどの三者の引用をもう一度見てみよう。


苫野一徳


「さまざまな物事の“本質”をとらえる営み」


バートランド・ラッセル

「普段の考えの根本にある曖昧さや、混乱を
一つ残らず見て取った上で、批判的に答えようとすること」

暇人

「うーん。まぁ、色々と考えること?」


どうだろうか。

最後の凡人はともかくとして、
それぞれの解釈に共通項が見えてきやしないだろうか。

つまり、「愛」や「時間」について
あなたが考える時にたどる過程、

要は
そのモノゴトの

中心エッセンスや、
大事だと思うことを考える
それすなわち、
苫野一徳の言う


そのモノの本質を捉えること

であり、

かつ、
ラッセルの言うように、曖昧性を理解した上で、

批判的
(=なにが大事なのかを判断)
に答えること

と、同じことなのです。
(どどーん!)



。。。。わかった。。。かな。。。
(わからない人は補足へGO)

まとめ 1



まぁ、とりあえずは、
一回無理にでもまとめよう。


哲学とは、あるモノゴトに対して

何がそうさせる?
何が大事?
どうして?どうして?




ひたすら考えて、その本質を捉えていこうとするもの。


なのです。

だから、
さっき紹介した人はみんな同じことを言っていたのです。


「同じことを言っている」

=共通項がある

=すなわちそれが、本質。

=「哲学」の本質見つけたということ

哲学とはなにか。という問いに答えた


ということです。



・・・・・
・・・
・・・・


・・・・




納得いかないでしょ!!??
えぇ、そうでしょうとも!!



わかったようで、わからないでしょう!?



少なくとも、


・・・苫野さんと、
ラッセルの回答、やっぱりなんか違う気がする。。。



と思うでしょ!!?


という方へ補足。

補足


ラッセルさんのいう哲学の捉え方

苫野さんの哲学の捉え方が


どうつながるのかを
ちょっと見てみよう。


ラッセルの

「曖昧性を見て取った上で・・(以下略)」

という言葉を吟味してみよう。



最初、

両者は(苫野・ラッセル)

それぞれの答えをだした。

まずここに曖昧性が生じる


つぎに
それを見て取って(受け入れて)、


批判的に、
何が大事なのか、
何が中心のエッセンスなのか

を捉えていく。

そしてこれが、各人の考えの


”共通項” を見つけていく行為であり



”本質”を抜き出していく

行為に他ならない。


そして
結果、

本質が見えてくる


ほら、
苫野さんの


「様々な物事の本質を捉えていく」


につながる。


やっぱり
苫野さんとラッセルさんは同じことを言っている。



そして今僕たちがおこなった行為そのものが、

哲学をおこなった瞬間でもある。


僕たちは
この記事を辿りながら
ある物事(今回は「哲学」)

に対するいろんな曖昧な意見を吟味しながら、



「哲学」の本質を捉えたわけです。
(正確にいえば捉えようとする営みを行った。)


つまり、今僕たちは、
「哲学」を哲学した瞬間に立ち会ったわけです。


。。。勘弁してください。

まとめ



えー
何度も繰り返して申し訳ないですが、

哲学というのは
本質を考えていくこと。
でも、その最中に

本当にそうか?
なぜそうか?

という
中心を担う
重要なエッセンスをしっかり吟味(批判)

して
つまり曖昧性を取っ払って
その本質を捉えていく。
というわけです。
要は、

みんなが普段曖昧に



考えていること、
思っていること、
決めつけていることの

本質はなんなのか?

と捉え直すという行為でもあるわけです。


えーー
わかったかな。。。


わからなかったらごめんね。

もし意味不明だったら、
この話は見なかったことにして
明日も楽しく生きてください。

別に哲学を知らなくても





何にも困ることないから




、、、、
いや、やっぱり嘘。

あるよ。哲学を知る意味。


ということで、
次回は「哲学を学ぶ意味」

について。です。






最後に僕が大好きな言葉をご紹介。


哲学とは何かしらの答えを見つけるものではなく
それを問い直すための問いを見つけるもの。


わかったような・・・?

わからないような・・・?




というレベルまでいけば
もう満足。

 

 

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