初心者のための教育哲学講座ー哲学を学ぶ意味。ー

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教育哲学

 



・本講座のコンセプト




この講座のコンセプトは、

みなさんの(教育)哲学に対する
イメージを、


「わからない」




から





「わかったようなわからないような」





というステップまで引き上げるという



エコ、低姿勢、低ハードル

です。

さらに付け加えるなら

言い訳満載です


です。






さて、第2回目となりました。今回。


テーマは


「哲学を学ぶ意味」


です。


「教育哲学」をやる、

といいながら、だらだらと
「哲学」にだけ触れて申し訳ないですが、

後につながるものなので、
もうしばらくお付き合いください。


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前回のおさらい



前回で、哲学ってそもそもなに?

という話をなんとなーくさせてもらいました。



そこで得た結論。


それは


哲学とは



あるモノゴトの本質を捉えていくこと




というものでした。

つまり、

いろんな考え方や捉え方がある中で、

一つ一つの曖昧性吟味し、

共通項を見出し、



モノゴトを形成する中心部分、

すなわち本質を捉えていくということです。



となると、
そこからまたひとつの結論が見えてきます。

それは、

哲学とは


会得される知識ではなく



本質を会得していくための思考様式


ということです。

つまり、行為なのです。。。

。。。よ・・・ね?。

そうですよね?大丈夫ですよね?





一応、信憑性を上げるために引用をちょこっと。



かの有名なカントは、

「人は哲学を学ぶことはできない。ただ、哲学することを学ぶだけだ」

と述べているし、


森本哲郎という哲学者は

「哲学とは知識ではない(中略)自分の頭で考えること」

と述べている。


だからそう。

哲学とはある物事の本質を知ろうとする

行為なのです。





じゃ、ということで、本題行きましょう。


テーマは、

なぜに哲学を学ぶ、行う必要があるのか、




です。


愛とか時間とかの本質を考えて、
一体なんのメリットがあるわけ?


時間を考えても24時間は24時間。

愛を考えても恋人ができるわけじゃない。




その通り。




恋人が欲しかったら、




哲学をよりもおしゃれな服を買え。



そういう話なわけですよね。



えぇ。その通り。



耳と心が痛い。






にも関わらず
僕はそれでもダサい服を着ながら


哲学を学ぶ意味を
滔々と、かつ高らかに宣言しよう!



哲学を学ぶ意味



多くの人はこう考えるだろう。




哲学は「無害である」ということは確かでも、
結局のところ、無意味、骨折り損ではないかと。


ふむなるほどね。



鋭いツッコミだ。




そんな君へ哲学を学ぶ意味を紹介したい。




どこからいこうか。。。

いろんな説明や定説がなされているんだけれど、、、





ちなみにぶっ飛んだところからいくと、

バートランド・ラッセルさんが


哲学が観想する宇宙の偉大さを通じて、ここもまた偉大になり、
心にとって最もよいものである宇宙と一つになれる



と言ってます。

ま、要は哲学を学ぶと、



宇宙と一つになれるわけです。





えぇ。そうです。





ギャラクシーボーイになれるわけです。







。。。すごいだろ哲学っ!!!!






とまぁ、これは置いといて、


ここは一応初心者向けなので、

わかりやすいところから行きましょう。




問いを生み出す力が身につく。


まずはこれでしょう。
というかこれだけで十分。



どういうことか。


前回から
ちょこちょこと言っているように、


哲学とは本質を問う行為である



すなわち、


問いを生み出すものなわけです。



つまり
哲学を学ぶということは

=問いを生み出す能力を培うわけですね。


じゃあ、

問いを生み出すって一体なんやねん。

ということですが、

まず世の中の当たり前を疑えるようになる


すなわちそれは


なぜOOはOOなのか、



を考えること。


この行為はおしなべて



知的想像力を豊かにし、
多面的な考察を行う



ために役立つわけです。



ま、要は
物事をいろんな角度から見れるようになるわけです。









究極の暇つぶし。

もうね。そう。これ。

暇つぶし。


考えるということは

シンプルに楽しいじゃない。


そんでもって、
なかなか答えが出ないものを考えるって


いつまでたっても
食べ終わらないデザートを食べるのと同じこと。


最高でしょう。



例えば、

何が僕にとって、幸せなんだろうか。

何があの人にとって幸せなんだろうか。


そういうことを考えていたらあっという間に
日が暮れ、そして登ります。


そしてまた気づく。

あれ、なんで日は登るのだろうか。。。。


と。


まぁ、世の中ありがたいことに、
考えることに対しては事足りないのです。


道具も必要ないしね。

脳みそがあれば、誰でもいつでもどこでもできる。



そして気づいたら





ギャラクシーボーイになってる







哲学が僕たちにしてくれたこと

 
とまぁ、ちょっとふざけてしまったけど、

哲学を学ぶと




・物事を多面的から捉える能力が培われる


・暇が潰せる。




わけです。

 でもこれって、あくまで個人的なものであって、



世の中にそこまで必要なのか?



という疑問が生まれるわけですね。




哲学より、

数学とか、科学の方がよっぽど役に立つのでは?




ふむなるほど。

その意見にも理はある。






だが甘い!





哲学は


万物の祖


もしくは



学問の祖



と呼ばれているのだ!!





つまり、哲学が存在しなかったら
何も存在しない。


要は
哲学 or ナッシング。



ちょっとだけ詳しく見て行こうか。



(ちなみにこれは
バートランドラッセルの本から引用していくね)

学問の誕生

 

数学者や、
科学者に


あなたが今まで追求した真理にはどのようなものがあるか。

と聞けばそれはそれはうんざりするほど教えてくれるでしょう。


一方で、哲学者に同じ質問した場合、


科学者たちが追求してきたような真理は何も得ていない
と言うでしょう。


なぜか。


ラッセル曰く、

知識だと確定した成果は哲学とは呼ばれなくなり、
一つの科学として扱われるからです


例えば、

星ってなんだろう。
なぜ朝と夜があるのだろう。


と考えて、

そうか!そういうことか!!



とわかった途端、それは

「哲学」から「天文学」へと姿を変えるわけです。


人ってなんだろう。

なぜ笑い、泣くのだろう。


と考えて、考えて、考えた結果、

その成果は

心理学という学問と名を変えるのです。



そう、

哲学とは問いを生み出すもの。

つまり哲学がなければ問いが生まれない。


問いが生まれると、追求が始まる



そしてそれは学問として独立していく。



だからこそ、哲学は学問の祖

と呼ばれているわけですね。


世界がなんにも疑問を抱かなければ、

世界はそのまま現状維持で発展しない。


全ての根底は哲学から始まり、

脈々と地下水脈として、全ての科学へのDNAへ組み込まれている。



そして今もなお、
様々な謎が手付かずのまま残っている。



例えば時間とはなにか。
とか。



すなわちこれは未来への可能性なのだ。



問いがある限り、人は考え続ける。



問いがある限り、可能性がある。



問いがある限り、世界は前進を止めない。





いつの日か、時間学
という学問が誕生するかもしれない。



それでも哲学者は言う。




僕たちは何もしてきていない。

ただ、問うただけである。




と。




はい。
いかがだったでしょうか。

哲学の意味のお話でした。



あと一個だけ哲学の面白い話を書いて、

教育哲学の話に行こうかな。



ようやく教育の話ができる。。。



あ、ちなみに

興味ある人は読んでみそ。



1冊目は僕が衝撃を受けた本。
バートランドラッセルの哲学入門。

これで哲学にはまった。
わかりやすく、そして面白く書いてある。



2冊目は、
哲学の歴史やそこで生まれた名言を
時代背景とともに教えてくれる。

もちろん哲学ワードもいろいろ教えてくれる。
「実存」とか、「イデア論」とか。

かなり優しく書いているので、オススメ。

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