初心者のための教育哲学ー「教育」への眼差しー

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教育哲学



・本講座のコンセプト




この講座のコンセプトは、

みなさんの(教育)哲学に対する
イメージを、


「わからない」




から





「わかったようなわからないような」





というステップまで引き上げるという



エコ、低姿勢、低ハードル

です。

さらに付け加えるなら

言い訳満載です


です。






はいみなさんこんにちは。
ちょっと間があいてしまいましたが、

初心者のための教育哲学講座です。



今回からようやく、僕の専門である

教育哲学についてやっていきますよー。



さて、記念すべき最初は



ー「教育への眼差し」ー




というテーマでやっていきます


なんかカッコつけたテーマですが、

まぁ、「教育学」を軸に置きながら、
その「眼差し」についてのんびり見ていきましょう




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眼差しの重要性

 

教育学とは


まずみなさんに、一つ聞きたいことがあります。

それは


教育とはなんですか?


ということです。

おそらくこれにサッと答えを出せる人は
いないと思います。


それはなぜか。


「教育はOOだ」
と言うことはできるかもしれませんが、

でもそれだけでない部分が必ず出てくるからです。


例えば、



教育とは、子どもに知識を教えることだ。




と言うこともできますが、

果たしてそれだけでしょうか?




いやいや、教育は知識だけではなく、人としての基礎、
わかりやすく言えば生きる力のようなモノも育むものだ。


とも言えます。
つまり、その内容も明確ではありません。



さらに言えば、




学校だけでなく、各家庭、地域で行われることも教育だ




と言われてもそれもそうだなぁ、、、

と納得してしまうのではないでしょうか。

つまり、場所だって曖昧。




もっともっと言えば、
大人から、子どもへ行われるだけでないですよね。





つまり対象もまた曖昧。




このように教育という言葉一つとっても
いろんな視点が絡まりあっているため、

一言で言えない、というのが大きな特徴かと思います。






ま、

とにかく教育を捉えるためには、

様々な視点=眼差しが必要不可欠ということになるわけです。


そして教育学というのは、



それぞれの視点から、教育について考える学問


と捉えてもらっていいかと思います。





とはいえ、
まだまだ説明不足なので、





なぜそんなにも視点が重要なのか、



という点について

もう少し説明していきましょう。



 

教育学への眼差し


さっきも書いたように、

そもそも、


教育というのはなんなのか、



という問いに




一言では答えられません。ぜったい




さっき見たように
いろんなものが複雑に絡み合っているからです。



ま、
文章であーだこーだ語るよりも、
一回図を見た方がわかりやすいので、



とある本から一つの図を引用します。





まず、
田中智志という教育学者が、

教育学の分布を以下のように示しています




えーこの図を見てわかるように、

教育学というのは



様々な分野に分かれ、




かつ、




いろんな分野とくっついている




ことがわかります。

これを全部ひっくるめて





「教育学」




と呼んでるわけですね。


ま、それはさておき、
ともかくこのような枝分かれしている状況こそが、



「教育」を一言で表せなくさせている
一つの要因になるかと思います。







僕はここの中心である教育哲学というものを専門として来ましたが、

もちろん中には

教育心理学や教育社会学を専門をしている人がいるわけです。




さて、ここで、
押さえておきたい点が一つあります。


なぜ、そもそも



教育学は
様々な分野とくっつく必要があったか。

です。



日本の教育学者である
広田照幸は、




「『教育学は寄せ集めの学問にすぎない』が、
同時に、教育学は人文・社会科学の組み合わせが必要な学問」


と述べています。



要は、

教育とは一つの視点で語れるものではなく、
いろんな分野の学問の力を借りて、ようやく見えてくるもの




ということです。

その通りですよね。





社会学

経済学

心理学



このようないろんな学問の力借りながら
初めて教育を捉えるようになるわけですから。



・・・・
一応ここが重要なので、くどくなりますが、
もうちょい補足。




例えば学力問題・学力格差の問題がある。
これは教育の問題ですよね。




しかし、
これらを考える時には、

学力の格差とはなにか、という話になる。





つまりそれは大学進学のこと、偏差値、就職
というキーワードなしでは語れません。




つまり、社会という視点が必要となるわけです。

だからこそ、教育社会学という学問が誕生したわけです。





同じように、各家庭のお金、教育にかけるお金。
私立に入学させるお金、給食費・・・



といった話もよく話題になっています。




ここではやっぱり経済学の力が必要なわけです。



だから教育経済学という学問が生まれた。






要は、
教育は様々な分野に関連している。

だからこそ、



それぞれの立場の視点を借りてる必要がある

 

というわけです。



だからこそ、
教育を考える時に、

いろんな分野力を借りること



そして同時に




どの分野の視点から見ているか

という立場の表明

が重要ということなんです。
はい。






 

全体を捉える必要性

 

もちろん、このように「教育学」が細分化されていることは、
決して悪いことではありません。

いろんな視点が出てきていいと思います。



ただし、注意しないといけないのは、


その視点だけが全て、と思い込んでしまうことです。



例えば、
教育方法学、
(わかりやすく言えば、より良い授業とはなにかを考える分野)



を学び、それだけの視点で見ると、

教育とはまるで、授業が全て、と言うような錯覚に陥るし、





逆に、もっと広い目で見ようとして、

教育社会学
(教育を社会という広い目で見て見ようという分野)


だけで見ると、

あまりに抽象的で、実際の教育の実態が見えなくなってしまう。





教育経済学だけでは


お金が教育の全ての決め手

という話になる危険性があります。






僕個人的には、

ここのバランスが一番難しいと思うのです。



一つの視点からじっくり教育を捉える必要性もありますが、



同時に




他方からの視点も必要となって行くわけですから




そうして初めて、教育というものの輪郭が浮き上がってくる。

そう僕は考えています。


木を見て、森を見ず、

森見て、木を見ず。

このバランスを常に気をつける必要があるわけです。



さて、
ここまでが教育学を捉える大前提のお話です。



ここからは、
僕の専門である、教育哲学について少しだけ
ご紹介します。

教育哲学とは

 

哲学との融合

 

前回までで
哲学のお話をしてきましたので、
哲学とはなにか、という話はもう割愛します。





教育哲学とはその名の通り、

「教育」と「哲学」がくっついたもの、

と考えてもらって差し支えないです。





シンプルに言えば、





教育とはなにか?



良い(悪い)教育とはなにか?




といったことをあーだこーだ考えることを専門としています。




つまり、
「教育」を哲学の視点から捉えようとしているわけです


この考え方が、


教育哲学の基本的な姿勢であり、


教育に対する眼差しなわけです。







教育の本質とは何か。

なにをもって「教育」と呼べるのか

ということをねちねちやるわけです。




じゃあ、具体的にはどういうことを
しているのか、という話をしなくてはなりませんが、


それはまた次回に回すとしましょう






今回は



教育を捉えるための
視点の重要性



さえ
わかっていただければいいかな、と思います。





おまけ

 

なぜ、こういうことを一番最初に書いたか、

という点についてちょっとだけ

書かせてください。




教育というのは面白いもので、

誰でも気軽に語るんですよ。


教育とはOOだよねー

とか

こんな教師はゴミだよねー

とか

不登校ってさー

とか。




って


例えばツイッターとかでも

たくさんの人が教育について

いろんな意見を語っている。



でもその度に思うのは、



どの視点からあなたは教育を見ているのか、



ということです。



つまり自分の立場はどこにあるのか、


ということです。




そこが曖昧な人が非常に多い。



立場や、視点が曖昧だと、


その人が捉えている教育の輪郭は必ずぼやけています。



何をもってして、
良いのか、悪いのか。




そこが大事なんじゃないかなぁ、、、と常々思っていたので、
今回、このテーマをやらせていただきました。


もちろん、
だからと言って、

適当に語るな、


ということではありません。


広田照幸が述べているように、


教育なんて、天気・スポーツと同じくらい

気軽に語って欲しいものです。




ただ、その時にちょっとだけ意識してもらえると、

中身がある議論ができるかな、、と思ったり思わなかったり。






ま、それが僕たち、
教育学を専門的に学んできた人たちの
仕事でもあるのですが、、




ということで、自戒を込めて。



さ、

ということで、また次回!




わかったかな?

わかったようなわからなかったような?




それでいい!!


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