難しいからこそ面白い。(IQが20違うと話は噛み合わない)

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あるいは全力のことばたち。

三島由紀夫と東大全共闘のドキュメンタリーを見た。

昔から僕はなぜかこういった類の話が好きなのだ。
浅間山荘事件だったり、学生闘争の話だったり。
令和になった今、別の世界かと錯覚するほど
荒れている世界。
そこにある荒れ果てた混沌。
そして無秩序の中にある薄い白線のような秩序に人は何を思っていたのか、
何を求めて戦ってたのかとても興味をそそられる。

そんな中で今回も例に漏れずワクワクしてドキュメンタリーを見たのだけれど、
そこでグサッときた点を二つ

まず1つ目。
何いってるか全然わからない。
IQが20違うと話が噛み合わないというらしいが、まさにこのことかと思った。
三島のいうことも登壇する学生も何をいっているのかさっぱりわからん。
本人同士もわかっているのか、というほどの言葉の空中戦
血気盛んの若者も壇上に上がれば難しい言葉をこねくり回す。

すごい。なんて面白いんだ。
わからないということは非常に面白い。
今の世界に溢れる言葉はとてつもなく簡単すぎて優しい。
誰にでもわかるように噛み砕かれている。
受け手ファーストの、バファリン顔負けの言葉たち。

ところが彼らが語る言葉は「わからないなら失せろ」
と言わんばかりの優しさ0の世界。

でも、討論は歯車が噛み合ってみんなが笑って進んでいる。
僕だけが何が何だかわからず置いてけぼり。
この感じ。。。なんか懐かしい。
そうだ。院生時代の学会の時に感じたあの感覚だ。

大学の先生たちがなにやら発表されていて、まったくもってわからない。
ただ、そのわからなさが面白いのだ。

え、世の中にはこんなにわからないことがあるの?
全クリしたゲームにまだ次のステージがあるような気分になる。

最高じゃないか。
ということで必死に食らいついて動画を見たのだ。

2つ目

「解放区」というのが語られているんだけど
辞書的な言葉を借りると、国家権力から解放したエリア。
例えば東大の安田講堂。
まぁ、学生が国(大学)の所有していた場所を占拠したことなんだけれど

そこでなるほどなぁ、と思ったのは、

大学とか、国とか様々なところから解放されるという時、
自分の存在はどうなるか、ということ

学生でもなければ、大学という場所でもなくなったここにで
自分を自分と認識するにはどうするか、どう捉えるかなんて話があるわけで。
そして、その姿がある種の自然であり、時間や空間から解放・・云々カンヌン。

わ、わからねぇ。。だがそれでいい。面白すぎる。

とりあえず自分で勝手に解釈する。

自己と向き合うことは個人的な行動であるけれど、
でもそれは個人単位で終わる話ではなくて、必ず他者の存在はある。
権力や空間、他人。一方的に関係づけられたもの。

そこから一歩脱却して
自分で自分の空間の解放し、そして関係性を再構築する。
そこに革命を見出したのだ

いや、ちがう。。
こんな陳腐なはなしではない。。
でも面白すぎる。。
学生闘争がここまで哲学的だとは。
久々に刺激された。

最近哲学というか、学問から遠ざかっていた。これじゃいかん。
わかりやすい言葉をただただ受け取るだけじゃ面白くない。
難しいからこそ面白いのだ。

 

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