かつて天才になりたかった君へ。

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あるいは全力のことばたち。
Burning candle and white calla on dark background with copy space. Sympathy card

昨日久しぶり高熱を出した。
頭痛がひどく、お腹も痛い。熱もつらい。めまいもやばい。

死ぬんじゃないかと思うくらいしんどかった。
クルクルと回る天井を見ながらふと考えたことがあった

人が死ぬ時、それはいつなのだろうか。

心臓が止まった時、
足を止めた時、
人に忘れ去られた時、

死の定義に関わる言説は世の中に溢れている。

でも僕が暫定的に答えを出すのであれば
それは、
「自分に可能性を感じなくなった時」なんだと思う。

 

思えば僕はいつだって自信に溢れていたし、
できないことなんてないと思っていた。
やりたいことができないという時間の過ごし方が存在するなんて思いもよらなかった。

繰り返される毎日が慣れを呼び、
振り込まれる現金が日々を拘束する。

社会人って本当にこんな思考回路になっちゃうんだな。と。

すごい。僕はまた一つ大きなことを学んだ。

明日にワクワクしない日々を過ごすことに慣れてしまった。
自分に可能性を感じないことに慣れてしまった。

来週もきっと同じこと。来月もきっと同じこと。
そういった可能性を担保に僕は毎月の収入を得る。

いやーなんだろう!
まったくもっておもろくない!

とってもつまらない人になってしまった!

社会人になった理由は、
人生にちょっとくらいはお金を貯める時期があっていいのじゃないか。
お金に拘ってみよう。と思ったからなのだけれど、全然おもろくないのな。

そりゃ安心して過ごせるようになったけれど、
安心=豊かさではない。

僕は今死んでしまった。
自分に希望を見出すことができなくなってしまった。
可能性を感じなくなってしまった。

 

これじゃダメだ。


ふと思い返せば僕が一番キラッキラなときはお金がないときだった。
アウシュヴィッツを見にポーランドに行ったとき
スペイン語をガチガチに勉強していとき
1日1ドルで暮らす貧困集落に取材に行ったとき
クラウドファンディングしたとき、

僕の手元にあるお金なんて10万もなかった。
クラファンの時なんて全財産5万だったぞ。

でも、めちゃくちゃ面白かった。
自分で自分に可能性を感じれていた。

そんな生き方を僕はもっと続けたい。

中途半端に守りたいものがあると
無意識に失ってしまうことの方が多いのかもしれない。

改めなければ。
変わらなければ。
諦めてしまいそうになる夢にもう一度向き合わなくてはいけない。

 

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