僕の父は国鉄の人だった。

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あるいは全力のことばたち。

奈良で友人の結婚式があり、ありがたく呼んでいただいた。

僕にとって移動費はできるだけ抑えたい出費ベスト1位にランクインしているので、
基本的に移動は全てバスか相乗りサービスを使うのが常だった。
今回も例に漏れずそうしようかとしたのだが、親しい友人の結婚式へ夜行バスでやってくる友達はちょっとなぁ、、、と流石に人並みレベルの常識が身につきつつある僕は悩んだ

悩んだ末、まぁ、数年に一度しかない機会だと新幹線に乗ることにした。

僕にとって新幹線はとてつもなく大切な意味を持つ。
列車が駅に止まるように、僕が生まれてから今日までの様々なスポットを「新幹線」は通過している。

僕の父は国鉄(JR)の研究者だった。詳しいことはよくわからないがとにかく電車の研究をしていた。東京の国分寺には鉄道総合研究所という研究機関があり、父はそこで働いていたのだ。
もともと僕が住んでいた町の名前は光町で、新幹線ひかり号が誕生した場所だからその名になったという。今でも光町の市民プラザの横にはひかり号の実物の運転席が置いてあり、小さい頃からよく操縦席に座って遊んでいたものだった。

このボタン何?などと聞くと父は当たり前のように全て答えられた。それが普通だと思っていたが、実は特別な技能だったということを高校生くらいの時に知った。


また、家には本格的な動く電車の模型があった。父のコレクションの一つで、実物を本当に小さくしたようなハイクオリティな代物だった。スピードを出しすぎると電車は脱線し、脱線した後は専用の機械を用意しないと線路に戻せないという明らかに子ども向けではない電車のおもちゃが僕たち子どもに与えられた。

とにかく僕は生まれも育ちも新幹線と密接に関係で育ったのだ。
ところが僕は電車に対して全く興味を示さず、すぐ飽きてしまった。どちらかといえば本を読んでいる方が楽しかったのだ。

・小学校3年生の時
僕は不登校だった。学校に行かず家でずっと本を読んでいた。そんな時、僕は長野の白馬村へ山村留学に行くことになった。山村留学の仕組みも知らない僕はよくわからないまま承諾し、つい出発の日を迎えた。

当時の約20年ほど前、新幹線は喫煙車両があった。座席の前に灰皿が設置されており、車内にはモクモクと煙が立ち込めていた。
(厳密に言えば当時僕が乗ったのは新幹線か特急電車だったかあんまり覚えてないけれど)

僕と父が乗り込んだ自由席の車両は喫煙車両だった。
最初はまだ良いものの、途中で気分が悪くなってくると、父は他の席を探してくると違う車両に行ってしまった。一人で新幹線の座席に取り残され、とてつもなく不安な時間を味わったのち、空いてる席があったよと戻ってきた父の姿は今でも脳裏に焼き付いている。

その後白馬に到着し、僕の山村留学が始まった。
山村留学とは子どもが親元を離れて小さな村でしばらくの期間暮らす制度だ
現地についてようやく仕組みを納得した僕は別れ際に号泣した。
とはいえ、家族は帰らなければいけないため復路の新幹線に乗り込んでいった。

僕に取って新幹線はどこか別れのような象徴でもあるのだ。
結局その山村留学は僕の人生に大きな転機を与えることになる非常に良い経験となった。
全校生徒が8人程度で、同学年は2人だけ。一つの教室で3年と4年生が一人の先生から黒板を半分こして授業するという今思えば非常にはちゃめちゃなものだった。

勉強の内容は都心のスピードに比べてだいぶ遅く、僕でさえテストで100点を連発し、東京の子はすげー。。。とみんなに言われたものだった。
また、雪国であるため一日中雪がふりしきり、みたこともないつららが軒先に垂れ下がり、
通学服はスキーウエアで、みんな自分の板を持っていた。(中にはスキーで通学してくる子もいた。)

地域に学校は少なく、現実的に家から学校に通えない子がたくさんいた。
そのため、そういう子どもたち用に寮が用意され、僕はその寮で生活をすることになった。

布団に入っていても手が悴むような寒さの中、毎朝6時から清掃が始まったり、食堂エリアの配膳や片付けは子どもたちでやる。ご飯後は、宿題タイム、テレビは1日ご飯の時だけ。。。など非常に昭和な暮らしが徹底されていた。
部屋は4人相部屋で二段ベット。トイレはボットンでスリッパを落としたら二度と取れないなど、東京でぬくぬくと育ち、学校にも行かず悠々自適に過ごしていた僕にとってまさにカルチャーギャップだった。

だけどとても楽しかった。
学校に行かなくなり、少し家族との距離感が分からなくなっていた僕に対して、全員が家族となった。一緒にお風呂入ってご飯を食べて一緒に寝て。その日々が多分僕が当時求めていたものだったんだろうなと今になって思う。

そんなこんなで新幹線というのはなんでか僕の人生にチラホラと現れては
それなりに影響を与えていくのだ。

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