文章を書くというのはなんでこんなに難しいのか。
日々いろんなことを想って、言葉にしたい気持ちにかられるのに、いざ言葉にしようとすると、さっきまで目の前に浮かんでいた言葉たちが心綺楼だったことに気づく。
そういえば司馬遼太郎はこんなことを言っていた。
文章を書くというのは頭の中にある雲をギュッと圧縮して一滴の滴をつくることなのだ。と。
まったく持ってその通りだ。
ふわふわと脳裏に浮かぶ感情と言葉の混ざり合ったものを
形にするのは途方に暮れるほど難しい。
それに上手く書こうなんて想ったらもう絶望的。
考えを文字にするだけで精一杯なのに、なぜか人はどうせならと上手く書こうとする。
だいたいうまい文章ってなんぞや。
ある人はわかりやすい言葉で書くという
またある人は、細部までにこだわって表現するという
またある人は、自分でしか書けない言葉で書くという
結局うまい文章を書く秘訣なんて誰もわかっていやしないのではないかとさえ
思ってしまう。
とはいえ、その中でも確実に確実なことは、
書いているときにこういうことじゃないんだよなぁ。。と思う文章は間違いなく
うまい文章にはならない。
うまい下手を決める尺度は曖昧だとしても、自分が書きたかったことかどうかはわかるのだ。
「あの人にはセンスがある」
文章に限らずなんでもそうだけど、
何かを上手にこなす人をこう評価することがある。
だけど、センスの裏には努力と知識が確実に潜む。
地道に何かを続けることができる人がようやくセンスというものを掴むのだろうなと思う。
最近、文章を書くことが増えた。
自分が書きたかったことではなくて、人から書いて欲しいと言われたことを書く。
これがもうとてつもなく面白い。
どんな言葉が欲しいのか、何を伝えたいのか。
そんなところを察しながらそっと言葉に気持ちを込める。
まるで紙にインクが滲み出るように、書き手の気持ちもじんわりと漂う。
こういう文章を書き続けることが一つの努力の形なんだろうし、
いつの日か「センスがいいね」と呼ばれることにつながるのかななんて思ったりもする。
言葉を書く。
日々を綴る。
そんな日々を1日でも多く、そして長く、生きたいと思うのだ。
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