前回のお金で解決できるものはすべてお金で解決しろって言ったのだけど、
早速真逆なことを言う。
でもまぁ、とにかく僕のお金に対する気持ちを聞いてほしい。
僕は世間一般的に言えばケチなんだと思う。
ただ、社会人になって僕はお金への考え方が変わった。
今まではお金は使わないに限る、という思考だった。
けれどそれは、海外をふらつき、医師団にお金寄付した結果
全財産が4万円しかなかったという現実的にお金を使えない状況だったからなのだ。
ところが最近社会人とやらになって、給料をもらいだし、
ある程度お金が使えるようになった。
なんとなく僕はいろいろ買い物するんだろうなと思っていたけれど、
真逆だった。
むしろ全然使いたくなくなった。すげーケチになった。
とはいえそれは
一円でも安くしたいといった類のものではなくて、
お金を使いたくないものには一円でも使いたくない
という考え方なのだ。
だから僕はなんとなくコンビニに立ち寄ることもしないし、
なんとなく継続しちゃうサブスクリプションにも入らない。
あとはなんとなく食べちゃうお菓子とかはない。あんまり。
(ちょっとはある。たまには。ごく稀に。)
どうしてか。
すごく当たり前の考え方だと僕は思うのだけど、
お金って自分が働いた対価としてもらうわけだ。
つまり、お金は自分の費やした時間であり、これから費やす時間でもある。
お金=自分(人生)
とだって考えられるわけだ。
ところがどっこい、
多くの人は、お金と自分を切り離して考えている気がする。
偶然財布に入っている長方形の紙とお菓子を交換して食べる。
別にそれ自体悪いことではないのだけど、
僕はそこに、
自分は自分の時間や人生を削ってそれと引き換えにお菓子が欲しいのか、
と思うわけです。
自分の時間と引き換えにできるものなんて世の中にそうそうないわけで、
そうじゃないものには僕は自分の時間を使いたくない。
だから僕がケチと言うのは、
お金に執着があるわけではなくて、
お金を通じて見える自分の人生の時間に執着があるわけなのだ。
毎月1万円くらいはよくわからないものに使ってる人は多いと思う。
でもその1万円稼ぐためには8、9時間くらい働くわけで。
自分のその時間とそのよくわからないものって
どっちが価値があるのだろうかと僕は思う。
シンプルに考えてさ、8時間って出勤1日分なわけだ。
となるとお菓子でもサブスクでもよくわからない何かにお金使うよりも、
毎月1日休日が増えるほうが嬉しいじゃないか。
大して会いたいと思ってない人とご飯いったり、飲み会するより
自分のゆっくりできる時間が増えるほうがよっぽど嬉しいじゃないか。
もちろん、
お菓子を食べなくなったり、つかってないサブスク解約したり、
携帯を格安プランに変えたって、現実に休日は増えないけれど、
それと同等の価値はお金として増えていって、
いつかそれはまとまったものとして帰ってくる。
毎月、「1日分」を貯金して年間で12日分。
これでもう有給取って東南アジア旅できるじゃないか。
僕は絶対によくわからないものより、こういうお金の使い方の方が価値があると思うのだ。
まぁ、これは極端な例ではあるけれど、
とにかく僕はお金を使うことに抵抗があるのは、
そこに自分の人生を使うほどの価値があるのか、と考えてしまうからだ。
もちろんみんなで外食するし、
今日は家で映画でも見るからお菓子買ってこー
とかいわゆる無駄遣いもする。
でもそこに、納得があるかどうかが大事なのだ。
自分が納得しないものに自分の人生を使いたくない。
好きでもない人とデートして時間使う人はいないじゃないか。
でも、みんな大して好きでもない人になんとなくで毎月時間を使ってる
習慣がそうさせてるのだ。
もちろん
1杯800円以上するコーヒーを飲みに行くこともある。
それはそこでワイワイお話しすることにそれ以上の価値があると思えるから。
だから全てにおいてお金を使わないのではなくて、
使ってもいいものと使いたくないものの線引きを他の人よりも少しだけ厳しく、
明確にしているだけなのだ。
働いて、自分の自由に使える時間が減ったからこそ、
そこに直結するお金=時間の使い方をすごく考えるようになったのだ。
無駄なものにお金は使いたくない=無駄なことに時間は使いたくない
だから僕はケチになった。
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