こんにちは。
街を歩けばコロナにあたる。
テレビをつければコロナの話。
人と話しても二言目にはコロナ
突如、前触れもなく訪れたこんな日常に辟易している方、
たくさんおられるかと思います。
ジョンズホプキンス大学の調査によれば
2020/04/21現在、
世界の感染者数は約250万人に迫る勢いである。

会いたい人と会えず、
お店は閉まり、
外出の自粛が要請され
なにより仕事を失う人も多数いる。
そして
「日常が早く戻ってきてほしい」という悲鳴のような声をよく耳にする。
同感である。
何も気にせず友人と会いたいし、好きに外出したい。
誰だって木漏れ日に目を細めたいのである。
でも僕は思う。
本当に「元」に戻りたいの?と。
この記事は未曾有のパニックを引き起こしている「新型コロナウイルス」から
どうにか教訓を見つけようともがく一人の意見です。
コロナウイルスを歓迎しているわけではありません。
ただ、悲観的に考えるよりも、どこかポジティブな面にも光を当ててみよう。
そういう思いで書いております。
新型コロナウイルスで辛い思いをされている方には、
不適切、不快に感じてしまう表現があるかもしれません。
そのような方にはページを閉じることをお勧めします。
元の日常に何を見る。
当たり前だけれど、
コロナで生活が改善されたとか、
元の生活より快適だという言うつもりは全くない。
ただ思うのは、
今僕らは大きな時代の転換期にいるのではないか。
元に日常に何を見ているのか。
漠然にではなく、目を凝らしてみると、見えてくるもの。
そこに今僕らが考えなければいけないことがあるのではないか。
そう考えるのである。
すごく単刀直入にいう。
満員電車、また乗りたいの?
24時間騒がしい街に住みたいのか?
過剰とまでになったサービスを提供・享受したいの?
(もちろんこれだけについて語るのは不公平だとは思うのだけれど
どうかお許しいただきたい)
「元の日常に戻りたい」と願う多くの方は、
決してここに戻りたいと思っているわけではないのではないか。
むしろ今までの異常性に気づき、
ようやくあるべき姿、「人が人らしくある」
そんな時の流れを感じているのではないでしょうか。
家族とご飯食べる回数、増えていませんか?
本でも読もうかなぁ、、って思う機会増えてませんか?
自分と誰かの体調を気遣えるようになってませんか?
僕は今までの日常って
「日常」の名を借りた「非日常」だったのではないかって思うようになった。
みんながそれが普通だと思っていたから違和感なく続いていた「非日常」
でも今改めて気づく。
家族との時間、
自分の時間、
サービスの過剰さ
僕は「元」には戻りたくない。
何が大事だったのか、
何がおかしかったのか。
それに今少しずつだけど気づき始めている。
そう思うのです。
戻るのではなく、進むのだ。
僕が今望むのは、元に戻るのではなく、
新しい日常に進むことである。
家族との時間や自分の時間
自分でご飯を作って、誰かと食べる。
そんな時間を大切にする。
そんな当たり前だけどできていなかった時間を新たな日常にしたい。
仕事だって、満員電車に揺られてまで会社に行かず
テレワークでまわる部分が見えてきた(ごく一部だとしても)
通勤時間がいかに無駄でストレスの溜まることだったのかに気づく。
今、新しい時間の使い方、そして日々の過ごし方を考えるきっかけになっていると思う。
だからこそ、何事もなかったかのように戻るのではなく、
この時期を一つのきっかけと捉えて新たな日々を見出すのが
大事なのではないかと思う。
こんな発想なんて今までの僕にはなかった。
だけど僕は少し変わった。
僕にコロナウイルスもたらしたものはこんな心境の変化だった。
もちろん、コロナウイルスの一刻も早い終息を願っているし、
見えないところで戦っている医療従事者の方々には本当に敬意を表する。
また、感染して苦しんでいる方の回復を願うし、
亡くなられた方にはご冥福をお祈りしている。
だけど、そんな方々のためにも
僕らは今、変わっていかなければならない。
新たな日常を模索し、創り上げていく。
そんな転換期に僕らはいる。
戻るのではなく、進むのだ。
そう考えている。
最後に、
僕が少しでもできることを探して、
国境なき医師団様のご協力を得て、クラウドファンディング を始めています。
よろしければ、ご支援、知人へのシェアなどのご応援よろしくお願いします。
皆さま、大変な日常が続くとは思いますが、
どうか体調にはお気をつけください。
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