走ったせいか、
砂煙を喉で感じながら
僕は宿まで戻っていた。
手には使い物にならない
偽チケットが握られている。
宿には数人の旅人が、
それぞれおもいおもいの時を過ごしていた。
本当なら僕もこのままシャワーを浴びて、
安っぽいベットに横になりたかった。
しかし
僕にはやらなきゃいけないことがあった。
そう、
僕を確実にバラナシまで運んでくれる
チケットを買わなければならないのだ。
さて、どうしたものか。。
一人の旅人が僕に声をかけてくる。
もしかして、チケット買いに行きますか?
僕も行くんで一緒に行きましょう。
まさしく渡りに船だった。
なにか行動を起こす時、
一人より二人の方が幾分がマシ、
ということは
いくら僕でも知っている。
それが
異国の地で電車のチケットを買うとなれば
なおさら、
だ。
二つ返事で承諾し、
僕らは街に出た。
その旅人は名前をケンジと言った。
僕より2つほど年上ではあったが、
その風貌と立ち振る舞いからは、
年下に見えた。
痩せ型で、
ヒゲなんて生えたことないような
童顔だった。
なんでも、大学を卒業してから
バイトをしては海外を旅行するという生活を続けてるらしい。
ちなみに彼の大学の専攻は電気工学だった。
もっとも
電気工学がなぜ今の生活に結びついたのかは
知る由も無いし、知る必要もない。
彼は、
明後日に僕らがいるニューデリーから
南の方へ行く計画を立てていた。
僕が目指しているバラナシは東に位置してる。
その先のことはまだ未定なんです。
そう言って爽やかに笑ってみせた。
道中ケンジはいろんなことを教えてくれた。
例えば
インドのカースト制度のことから
美味しいレストランの場所、
中央市場までの近道
インドに来て1週間、
毎日散歩をしているらしい。
なかでも美味しいチャイのお店を教えてくれたのは
僕にとって本当に幸運だった。
チャイとは、
紅茶とミルク砂糖をいくつかのスパイスと煮込んだもので、
甘く、おやつのような味である。
午後の紅茶のミルクティーに
スパイスを入れたような味である。
僕が感銘を受けたのは、
そのお店、
(と言っても
道端で鍋を火にかけてその場で作っているだけなのだが、)
で使っている容器だった。
他のお店では
プラスチックや紙コップを使っているのに対して、
そのお店は土を素焼きした
おちょこのようなものを使っていた。
ふむ、
なんだか味わいがある。
だが驚くべきことに、
飲み終わった人は、
そのおちょこを
地面に叩きつけるのであった。
パリン、と乾いた音が響く。
飲み終わった人が
次々におちょこを叩き割る。
ケンジが言うには、
このお店はその辺の土を
塗り固めて一気に焼き、それでチャイを提供する。
使用後はこうやって
地面に叩きつけられ、
土に帰る。
そして、
その土からまた新たに作っているのだという。
店主は
このサイクルがインドの魂だ。
とよく誇っているらしい。
なんて面白い国なのだろうか。
騙されたことなんてすっかり忘れて
僕はインドが好きになっていた。
駅はいつものように人でごった返していた。
インド人にとって駅は、
ただの駅ではなく、
家のような場所なのだろうと僕は感じた。
それほど多くの人が所狭しと寝ている。
たとえそれが通路であっても毛布を引き、
あるいはなにも引かず、
自分の部屋のような空間を作っている。
そして物売りがひっきりなしに来るため、
食事にも困らない。
チケットは想像以上に簡単に買えた
幸いなことに、
チケット売り場は駅にあったのだった。
僕が到着したとき、
確かに存在しなかったのにもかかわらず。
そのチケット売り場はまるで
魔法で作られたかのように、
二階にあったのだった。
では
なぜ見つけられなかったのか。
答えはいたって単純、
いや、あまりにも単純すぎて記載するのが恥ずかしい。
チケット売り場は、僕が探した場所の反対側にあったのだった。
つまり、日本の駅でいう北口、南口のようなものだ。
チケット売り場は最初から南口にあったのだ。
そして、僕はずっと北口を探していた。
不幸なことに、
北口から南口へは直接繋がっておらず、
一度外に出て、迂回するという手間が必要だった。
二階をくまなく探した僕は、
北口も南口も同じだと勘違いして、
もう一度南口へ入り、二階に上る、
ということをしなかったのだった。
考えてみればなんて単純なことだったのだろうか。
もっとも
誰一人反対側に売り場があるとは
言ってくれなかったのだが。
計画通り、
次の日の夜の
夜行列車の切符を買った。
ここからバラナシまで10時間程度かかるらしい。
(インドにおいて、
「時間」という概念が
どれほどの価値と正確さを持つかは
検討の余地があることは確かではあるが)
まぁいい。なんにせよ
どうやらバラナシまでは行けそうだ。
夜行列車に乗るということに
いささかの不安を感じながらも
少しだけ前進した自分の旅路を踏みしめる。
どうやら
新しい風が吹いてきたようだ。
その晩、
ケンジとカレーを食べた。
彼は手でカレーを食べた方が美味しいというが、
僕は流石にスプーンを使った。
煮込まれた野菜と豆が
スパイスによって絶妙に引き立っていた。
まるでインドのようだ。
と僕は考える。
騙す人、騙される人、
歩くもの寝るもの
作る人割る人
誇りと埃。
その全てが混ざり合い、溶け合い、
インドという国がそれを引き立てる。
その全てのバランスが取れている。
まるでメビウスの輪のように、終わりも始まりもなく、
ただ、
くるくると際限なく、まわりつづける。
そんな「るつぼ」の中に
僕は今生きている。
まわる世界
簡単な夕飯をすませ、
コーヒーを淹れ、
趣味のレコードをかける
普段の何気ないルーティーンに
この手記を読むことが
いつの間にか加わっている。
ボブディランの「風に吹かれて」が
いつものリズムで音を吐き出す。
どうやら彼の旅は
ようやく追い風とともに
舵を切り出したようだ。
そっと胸をなでおろす。
気づいたら
インドへの興味が湧いていた。
この手記を見つけるまでは
気にしたこともなかったのに。
彼の語るインドは、
あくまで彼にとってのインドであって、
私には縁もゆかりもない。
しかし
なぜか私はそのインドの砂埃まじりの息吹を
感じたいと思っていた。
インドで飲むチャイはどんな味なのだろうか。
陶器を叩きつける時はどんな気分なのだろうか。
くるくると繰り返される
るつぼに巻き込まれたらどんな気分なのだろうか。
向こうではどんな風が吹くのだろうか。
その答えは
「その風だけが知っている」
と
レコードが
くるくる回りながらいつもの調子で
私にそう言った。
明日もまたいつものように
日が昇ることに期待して
今日もまた眠りにつくことにする。
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