「自分にしか書けない言葉を書くということ。それは紛れもなく自分の人生を生きるということだ」

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あるいは全力のことばたち。
She writes in journal on lakeside pier, Lake Lugano below

何かを書こうと思っても、
なんか気が乗らない。
いざ書き出してみてもこんなこと書きたいんじゃないんだよなぁ。
と思っては2、3行書いては消す。
そんな繰り返しがここ最近ずっと続いていてあっという間に2月も終わりを迎える。

何にも書くことなんてない気がするけれど、
思い返してみれば僕は29歳になったし、母親は還暦を迎えてスマホデビューした。

仕事にしたって、任される仕事も増え、後輩に仕事を教え出して、
面倒見てる子どもたちも気づけは中学生になる子や高校を卒業する子だっている。

プライベートにしたって一緒に住んでた相方が旅に出て、
広い部屋に一人暮らしが始まった。
シングルベット二つくっつけてクイーンサイズのベットに寝転びながら
買ったばかりの大きな掛け布団に身を包みながら1日を終える。

何もないわけなんかない。

生きてるだけで人はあらゆる変化と新鮮さに出くわしている。

ところがどっこい、なぜ何も書くことなんてないと思うのだろう。

とりたてて珍しいことじゃないからだろうか。
人に話すような大それたことじゃないからだろうか。

多分、それは自分の人生をゆっくり生きていないからなんだろうなとも思う。

昔どっかで
今日ここにくるまでに見た花や草木の話をしてください
と聞いて答えれる人はまずいない
という話を聞いた。
この話の肝は「意識して目を向けなければ誰だって何にも気付くことはできない」
ということだったと記憶しているのだけど改めてこの言葉の意味を痛感する。

僕の尊敬する作家、井上ひさしは次のようにいう


「作文の秘訣を一言で言うと自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章でかくということ」

自分にしかかけないことってなんだろうと思う。
自分にしかかけないことってあるのだろうか。
そんなふわっとしたハテナが脳内に浮かぶ。

そしてある一つの答えにたどり着く。

「自分にしか書けない言葉を書くということ。それは紛れもなく自分の人生を生きるということだ」

そして自分の人生を生きるというのは、
自分の人生の道端に咲く草花を眺め、移ろいゆく季節に思いを馳せたり、小さな蕾に芽吹く生命に感動したりすることなのだと思う。

目的地を目指して歩く人生はとても素敵だと思う。
一方で、寄り道をする人生だって悪くない。
立ち止まって日々の小さな変化に身を寄せたってそれもまた人生。

書くことがないなんて言い訳に過ぎなくて、
それはどこかで自分の人生の小さなことを蔑ろにしているだけなんだな
と思う。

もう少し小さな歩幅で、そよ風をしっかりと吸い込みながら生きていく。
多分これが人生を丁寧に生きるということなんだろう。

そんなことを29歳になってあらためて考えたのだ。

 

 

 

 

 

 

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