開業届を出しても僕の人生はそこまで変わりそうになかった。

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菊地コーヒー


2020年9月1日

僕は立川の税務省にいた。
開業届を出すために。

道路を挟んですぐ目の前にはイケアがあって、
若者たちが行き交うおしゃれなストリートの一角に、
溶け込みきらない無機質感を滲みさせながら、税務省が建つ。


僕が起業しようと思い立ったのは6月になってからだった。

 

<時は遡って6月の上旬>

クラウドファンディングの地獄のような忙しさの最中、
僕の頭の中にはずっとチラついていた言葉があった。

なんで僕は1日18時間も無休で働き続けているのだろう。
収入はなく、なんなら赤字。
(この頃、銀行に預けていた僕の全財産の残高は6万切っていた)

100人を超える支援者に黙々とコーヒーを焙煎し、配送をする。
その作業に本当に皆さまへの感謝と実現できた喜びを噛みしめながら
ただただ働いていた。

 

そこらへんのドロドロを書いたのはこの辺。

 

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そして

最後の一人の方に配送を終えた時、
僕の頭の中にはさも当たり前のように

「起業」

という言葉だけが残っていた。

理由は簡単だ。


「もし次に同じ作業をするならお金が欲しい」

お腹が空いた?パンがない?
なら二郎ラーメン食べればいいじゃない。

くらい当たり前の欲求だ。


ただそれだけ。

だから僕はすぐさま開業届の書き方を調べて、

その日の夜にはプリントアウトした書類にペンを走らせていた。

これで僕も個人事業主だ!起業家だ!社長だ!
6月10日の僕はそんなことを思っていたのだった。

時は進んで、8月末

僕の机の隅っこには埃をかぶった書類が置いてあった。
(正確にいうと僕の体重と筋肉量の推移が入っているファイルに一緒に詰め込まれていた)


未だに出せていなかった。

理由はとってもシンプルだった。
めんどくさく、そして出す必要もなかったからだった。
(もちろんコロナ禍で外出を極力避けていたのもあった)

まず第一に、開業届を出す一番のメリットは税金のことだった。
控除が受けられる、とか赤字を繰り越せる、とか。

でもシンプルに僕のコーヒーは
税金がかかるほどの売り上げはその時点で見込めなかった。
前回の記事でも書いたようにバイトした方がよっぽど稼げる状態だった。

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じゃあ別に開業しなくてもいいじゃん。
てかバイトしよ。
そう思っていたのだった。

さて、そんな僕に残された道は当時2つあった。

一つは
このまま趣味の延長線としてコーヒーをやって、バイトをしたり、
いつか出会うであろうなんらかのきっかけに想いを馳せ、
だらだらと歳をとる。

もう一つは


崖の上から飛び込み、滝壺の中で足掻き続けるか、だ。
例えばそれはコーヒーをもっと売れる形にすることに向き合う。
→現段階で売れていないならばそれは改善の方法があるということ
こういう点にひたすら向き合うということだ。
なんなら
コーヒーに縛られず、様々な分野に手を出し、いろんなことにチャレンジする。

そんな道。

そんなことを考えたら圧倒的に後者の方がいいに決まってる。

というかここで1を取る人間だったら
僕は大学院にもJICAにも行かず、普通に働いていただろ。

そんな自問自答をずーっと続けて、
いろんな人に相談させてもらって少しずつ自分の中で覚悟を決めていたのだった。

そして運命の9月1日。

僕がルームシェア(実際には寄生)している家の主人が



「立川のイケア行こうぜー」

と言うもんだから、


「あ、いくいくー。あ、税務省そばにあるじゃん。開業届だそーっと」


と晩ご飯の献立よりも簡単に決まった。

人生というのは結局はこんなもんだと思う。
どんだけ頭を抱えても、覚悟しても、
きっかけがなければ人は動けないし、

逆にきっかけさえあれば誰もが世界を変えられるのだ。


そんなこんなで僕は
税務省の前に立っていたのだった。

 

つづく。

 

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