当たり障りのないことを書くことの難しさ。

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あるいは全力のことばたち。

4月5月と一切文章を書かなかった。
書きたいこと、書こうという気持ちはあったが、書けなかった。

その理由はたった一つ。
人に見られるからだった。

いやそりゃそうやんという話なんだけれども。

この前、ご家庭と面談中に

菊地さんのブログ、読みました。
SNSもリンク貼ってたの見ました。
コーヒーとかやってるんですね〜〜!!

えー!見てくれたんですか〜?
めっちゃ恥ずかしいです〜〜(照照)


なんて穏やかな会話をしながら、震えた。
あ、そうか。仕事柄そりゃ検索されるわなと。

そこから決心した。もう書くのやめようと。
だってもうリスクしかない。こわいこわい。
僕だけならいいけど会社に迷惑かかるのもやばい。

とりあえず書くのをやめようと思ったわけです。

それが4月。
SNSもほとんど更新をやめた。


・・・
でも書きたいのだ。
やっぱり書きたいのだ。


そこで僕は気づいた。
そうか。当たり障りのないことを書けばいいのか!


そうしよう!当たり障りのないことを書こう!箸にも棒にもかからないこと、あってもなくてもいいこと!


卵に貼ってある賞味期限のシールみたいなことを書こう!
爪楊枝の持ち手にあるギザギザ部分みたいなことを書こう!

と思ったのが5月。
ところがどっこいおむすびさん。
当たり障りのないことってなんだ。

当たり障りのない文を書くってこんなに難しいのかと。
何にも当たりもしない、障りもしないそんなことなんてあるのかと。
令和の電撃イライラ棒かと。


そんなことを悶々と考えていたら頭の中に一冊の本が浮かんだ。
平成生まれで教育系の道に進んでる人は必ずぶつかるであろう、

土井隆義の「友達地獄」という本だ。

中でも
「教室は例えて言えば地雷原」
という一節はあまりに有名。(もともとはある中学生が川柳の大会で応募して話題になった)

そう、まさにこれだ。
今じゃSNSやインターネットなんてもう地雷原でしかない。
変なところ歩こうものならすぐに爆発。

当たり障りのないことを書く=地雷を踏まないようにする≒書かない
という構図が浮かび
やっぱり5月も書くことをやめた。


では6月。どうなのかと言えば、やはり書きたい。
書きたいことがたくさんある。

最近知り合いに

菊地って酒飲まないじゃん。

うん

飲み会にも基本行かないじゃん

うん

でもたまに行く時あるじゃん

うん

何考えているの?

おま、そりゃ何を考えているかと言えばもうすげー色んなこと思うぞ!いや、たとえばね座ってすぐお店の人がドリンクのファーストオーダーを取りに来た時、
ソフトドリンクの場所がわからなくてテンパってそりゃ飲む人からしたらOOOXX△△X〜〜〜〜

止まらん。書こう。
とかそんな気持ちになるわけさ。

あとパソコンとか携帯いじってると
何年まえはこんなことしてました〜って写真とか強調してきたりするじゃない。
そんでなんとも言えない気持ちになるじゃない。
改めてそういう昔の写真を引っ張り出してあえてそのモヤモヤに真っ向勝負を挑みたい。


ということで6月は
なるべく等身大で、なるべく人様に迷惑をかけない形で、こっそりと歩いて行く方法を模索する。
ちょっとだけ書くことを再開したい。

たぶん

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