ミヒャエル・エンデという作者の名前は知らなくても、
「モモ」という作品をご存知の方は多いのではないだろうか。
そう。3人に1人くらいの割合で
実家の本棚になぜかあるあの本だ。
なんかあるなぁー。と思いながら実際に手を伸ばしたことはなく、
あったとしても分厚っ!!児童書じゃないじゃん!
と恐れ慄き、そっと本棚に戻るあの一冊だ。
先日の記事にあるように僕は、無職である。
無職というのは当然ながら仕事がない。
仕事がないということは有り余る時間があるということだ。
そんな今の僕にちょうどぴったしな本だと思い、
筆を取った次第でござる。
モモと時間の使い方
初っ端、僕の胸を突き刺す描写がある。
理髪店を営み、それなりに幸せに生きているフージー氏と
灰色の男たちが出会うシーンだ。
ある雨の時、ふとフージー氏はこんなことを思う。
俺の人生はこうして過ぎていくのか。フージー氏は考えました。
ハサミとおしゃべりと、石鹸の泡の人生だ。俺は一体生きてなんになった?
死んでしまえばまるで俺なんぞ元々いなかったみたいに、人に忘れられてしまうのだ。
語り手は、
何もかもがつまらなく思える時があります。
そういうことは、誰にでもあるものなのです
と言う。
充実した人生にふと感じる虚無感。
確かに誰しも感じたことのあるこのなんとも言えない気持ち。
朝起きて仕事に行って、帰ってきて。
繰り返される毎日に、予想できる明日に、少しだけ虚しく思うことがある。
僕だってそうだ。
たとえ仕事していなくてもそういうことがある。
いや、もっと言えば、普通の人の400倍くらいそう感じる時がある。
そう。僕とフージーとこれを読んでいるあなたは仲間なのだ。
レッツ。虚無感。
とそうやって僕とみんなでじゃれ合ってると時間貯蓄銀行から灰色の男がやってくる。
灰色の男と時間貯蓄銀行
灰色の男はフージー(と僕)に向かってこう言うのだ。
いいですかフージーさん。
あなたはハサミとおしゃべりと石鹸の泡にあなたの人生を浪費しておいてだ。
死んでしまえばあなたなんてもともといなかったとでも言うようにみんなに忘れられてしまう。
もしもちゃんとした暮らしをする時間のゆとりがあったら今とは全然違う人間になっていたでしょうにね。要するにあなたが必要としているのは、時間だ。
た、確かに。僕はここ最近ずっと YouTubeとNetflixに人生を浪費している。
昨日と今日で全裸監督全シリーズ見てしまったし、
最近はテラスハウスみて一人で胸キュンしてしまっている。
たしかに。もっと僕に時間があれば、、、
もっとゆとりの時間があれば、変われるはずだ。。。!
で、でもどうやったら時間を倹約できるのだ!?
そして、灰色の男はフージー氏のこれまでにどれほど無駄な時間を過ごしていたかの計算を始め、そして今すぐ時間の倹約を始めることをを勧める。
時間の倹約の仕方くらいお分かりでしょうに。
例えばですよ。仕事をさっさとやって余計なことをすっかりやめてしまうんですよ。
1人のお客さんに半時間もかけないで15分で済ます。無駄なおしゃべりはやめる。
年寄りのお母さんと過ごす時間を半分にする。
一番良いのは安くて良い養老院に入れてしまうことですな。
そうすれば1日にまる1時間も節約できる。
それに役立たずのセキセイインコを飼うなんておやめなさい。
寝る前に15分もその日のことなんか考えるのをやめる。
とりわけ歌だの本だの、ましていわゆる友達付き合いなんかに
貴重な時間をこんなに使うのはいけませんね。
(一部中略)
あーそうだ。確かにそうだ。
一つの動画を1.25倍速、いや、1.5倍速で見れば、もっと多くの動画が見れる!
よし!こうなりゃ気になるシリーズものをさっさと見てしまおう!
基本的に一歩も家でないから服を着替えるはずなんてないはずだ!!
その時間を当てればもっと高みを目指せる!
(一昨日の歩数は携帯上で12歩だったよ!)
そんなこんなで時間の倹約を始めたフージー氏と僕だったが、
まず変化が起きたのはフージー氏だった。
フージー氏はだんだんと怒りっぽい落ち着きのない人になっていきました。
というのは1つふに落ちないことがあるからです。
賢約した時間は実際、手元に少しも残りませんでした。
魔法のように跡形もなく消えてしまっているのです。
フージー氏の1日1日は、はじめはそれとわからないほど、
けれど次第にはっきりと短くなってゆきました。
一方僕はというと、特に怒りっぽくはならず、あいからず穏やかなままだった。
しかしながら、動画の再生スピードを早めていても、浮いたはずの時間は何処かへ行ってしまっていた。次から次へを関連動画が出てきしまい、ついクリックしてしまうのだ。
これはおかしい。何かがおかしい。
フージー氏の時間も僕の時間も盗まれている。
そう。灰色の男に盗まれているのだ。
全ての元凶は灰色の男なのだ!
こうして僕はきびダンゴをもち、
火属性と草属性と水属性のポケモンから一つを選び
額にNのマークをつけ、灰色の男と戦うためにホグワーツ急行に乗り
マサラタウンを目指した。
モモに学ぶ心の虚無と人生の豊かさ
とまぁ、冗談はこの辺にして、
このモモというのは非常に良いメッセージを僕たちに投げかけてるよね。
キーワードとしては、
・心の虚無と焦り
・時間不足
・効率化
だ。
この時間の考え方というのは、余暇の考え方と似ている。
家政学の見地から言えば、
高度経済成長期にこの余暇が誕生したと言われているわけですが(確か)
そもそも余暇とはなんじゃと。
例えば1950年代、「もはや戦後ではない」という言葉と同時に
「三種の神器」という言葉が話題になった
冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビだ。
これらは豊かさの象徴として、普及していくこととなり、
大衆の生活を一変させた。
冷蔵庫や洗濯機により、家事にかかる時間が大幅に減り、
テレビによって情報伝達がより正確に早く伝わるようなる。
その結果、今までは存在しなかった浮いた時間、余暇が生まれた。
そして、このような余暇の時間の増大と共に、
例えばスポーツクラブや習い事といった
日常生活+アルファの生活様式が確立された。
そして現代、便利さは歯止めを聞かせることなく、
服はすぐ乾き、ご飯はいつでもどこでも届くようになり、
部屋は自動的に暖かい。
しかし、僕たちの日常は本当に暇なのか。
暇な時間が増えたのか。
生活に必要な生活時間はおそらく半分以下になっているにもかかわらず、
僕たちは余暇を味わうことができているのか。
倹約した時間はどこに行っているのか?
今まで1時間かかっていた移動が30分で行けるようになった。
じゃあその30分はどこに行ったのだろうか。
寝る前にコーヒーを30分かけてゆっくり飲む時間が毎日できたのか?
おそらく。そんな時間はない。
便利になっても、時間を短縮できても、
その時間を実感として得ている現代人はおそらくいないはずだ。
それはなぜか。
僕たちの心に時間泥棒の灰色の男たちがいるからだ。
モモの世界観は決してファンタジーではなく、
僕たちのリアルな現代社会の様相に一石投じるものである。
モモに学ぶ人間の豊かさと貧しさ。
いくら人が時間を倹約しても、余暇を増やし、充実をしようとしても、
満足した豊かな時間を過ごすことはできない。
それは現代社会の生活様式が証明している。
便利になって時短がすすんでも、人は充実できない。
それはなぜか。
それは時間量と充実度はリンクしていないから。
軸がずれているのだ。
便利になること、全てを早くして、忙しく生きていく世界の先に充実はないのだ。
時間の総量ではなく、質に目を向けるべきなのだ。
フージー氏は30分かけていた散髪を15分にして15分浮かす。
そして今後は10分で終わらせることになるだろう。
しかしその先には幸せはない。
むしろたっぷり30分かけておしゃべりをしながら髪を切るという「質」の時間に
幸せがある。
豊かさというのはそこにある。
改めて、このモモの話は現代の僕たちにとても痛烈なメッセージを投げかける。
知らず知らずとして、僕たちは量を追い求める。多ければ多いほど良いのだ。
そのような資本主義的な考え方が、灰色の男たちを蔓延らせる。
知らず知らずのうちに僕たちはモモの世界に入り込んでしまっているのかもしれない。
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