不登校にまつわる不安の正体と受け止め方〜起立性調節障害〜

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ー小さな声が明日を変えるー 「不登校」・「フリースクール」・「オルタナティブ教育」に特化した ウェブメディア「Voices」 リアルな声、明日を変えたいという想いをカタチにする。 「小さいけれど確かな声」を集め、誰かの背中を押す原動力へ変える。 
あなたの声を聞かせてください。 ******************…

 

 

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不登校の始まり

 これは、中学1年生の長女が学校へ向かえなくなった時の話です。
夏休みが明けた日の朝、通学の準備を整えた状態で玄関に座り込み

「学校へ行きたくない」

と娘が呟きました。

 前日、夏休みの宿題が終わらずにほぼ徹夜状態だったので内心「ほーら、やっぱり。」とため息をつきながら「早く宿題片付けないからでしょう!終わっている提出物だけ出してきなさい!」と言って背中を押したこの時の私は、娘がこの後、数年にわたって学校を休むことになるとは思ってもいなかったのです。

 この日を境に、娘は頭痛に悩まされ、起き上がることができなくなりました。
声をかけても意識がないのでは?と思うくらい眠り、揺さぶっても日光を浴びせても、どんなことをしても朝起き上がることができなくなったのです。
 午後になる頃にやっと起き上がり、虚な目で部屋の隅に体を預け、数時間同じ体制で座っているかと思えば、すぐ横になる。食欲はなく、歩く時も腰をかがめて歩く姿は、とても中学生のものとは思えず、学校へ行きたくないための芝居なのでは?と疑ったほどです。
 
 学校を休み始めて1ヶ月、激しい頭痛による不調は続き、さまざまな検査をしてみたものの、これといった原因はつかめずにいました。
 ある時、小児科の先生が起立検査をしてみたところ症状が該当し「起立性調節障害(OD)」という聞き慣れない病名を告げられたのです。

「じつは、O Dに対しては今のところ、これといった治療法はないのです。水分をたくさんとって塩分を多めに摂ってください。」と説明を受け、
良く理解できないまま帰路につきました。

 その時の私は、とにかく病名がわかったことにホッとし、「娘は病気で学校を休んでいるんだ。明日からは病気で欠席しますと堂々と学校へ報告すればいい。」と欠席報告の理由が見つかったことに、娘の不調を心配するどころか喜んでいたのです。

「起立性調節障害(OD)」から不登校になった娘に対する大きな不安

診断が下ったことを学校へ報告し「しばらく休んでいたら良くなるだろう。」と思っていた私の楽観的な考えは、半年も経つ頃にはまったくなくなり、大きな不安へと変わっていきました。

症状は良くなるどころか、笑うことも話すこともしなくなり、起きてすることといえば動画をみてゲームをする毎日。
完全に昼夜逆転し、朝方に寝て夕方に起きるという生活をしていました。

 「学校へ行けないからって勉強はしないと、みんなについていけなくなる。え?このまま今話題のひきこもりになるとか?」


そんな思いが毎日、頭の中をめぐります。
インターネットで何度も「不登校」と検索し、あらかたの記事は読んでみましたが、私の不安を打ち消してくれるものは何も見つからなかったのです。

 この不安はいったいどこからやってくるのだろう?と考えた私は、ひとまず頭の中にあることをすべて紙に書き出してみることにしました。すると、大きく3つのことに対しての不安が大きいことに気がついたのです。

学習面の遅れに対する不安

 ひとつ目は学習に対する不安です。そもそも学校を休んでいるため、娘の勉強は止まったままです。「体と心の健康が一番だよね。」と子供には伝えるものの、やはり将来のことを考えると、中卒では就職するにも職種が限られ、やりたいことにチャレンジすることが難しくなる未来は、容易に想像できます。
 自分の人生を決めるのは本人なのですが「その判断を中学生に任せていいのだろうか?」「学校へ行けない、自分だけできないという劣等感を抱えたまま、この子は人生を送るのだろうか?」と心配になりました。

コミュニケーションが減少する不安

 学校へ行かなくなる前の娘は、友達とも遊び、誘われるままに知らないところへも積極的に出かける子供でした。ところが学校へ行かなくなるとその姿は一変し、特定の家族意外とは話をせず、常に誰かの側にいないと寂しい状態になりオドオドして、買い物にも一人で出かけられなくなりました。
 このままどこへも出られず「ひきこもり」になってしまうのではないかと思ったこともあります。この頃は「ひきこもり」に対しての知識が少なく偏った考えだったのですが、「コミュニケーションが不足してしまう=社会生活が送れなくなる」という極端な考えに支配されていたのです。

運動能力が低下する不安

 中学生になったと同時に入部した運動部に1学期の間はせっせと通っていた娘が、O Dになってからというもの、トイレに行く際に降りる階段も足取りが危ないという状態になってしまいました。
 顔は青白く、もう一度、走ることができるようになるのかさえわからない生活は、娘の自信を徐々に奪っていったのです。

せめて散歩くらいしてみては?と勧めても、日中は誰かに会うかもしれないから一人では無理だと言うけれど、私は仕事があるため一緒に散歩することは難しい。
とにかく「少しでも外に出て気分転換してほしい」という私の思いとは裏腹に、娘は携帯電話とテレビの前から動こうとはしませんでした。

不安を解消するために私がしたこと

 娘の不登校に対する不安をなんとか軽減したいと思い、不安を行動に変換する方法を試しながら、ここまできました。
 お子さんの個性や特性、背景が違うため、あくまでも一例としてあげてみます。

 まずは学習面の遅れに対する対処として、娘と話し合い、どんな方法なら学習が可能かを聞いてみました。もともと集中することが苦手だった娘は、O Dが加わったことで集中することができなくなり、文章を読むことが難しくなったと言うのです。どの本なら読めるか確認してみたところ「絵本なら。」と言われた私はとても驚きました。何しろ、中学生が絵本しか読めなくなるなんて想像をしていなかったからです。
 
 その状態では学習することが難しいね。という話になったのですが、常日頃ゲームをしていることを思い出し、無料の勉強アプリを試してみることを提案しました。ドリル形式の10問くらいに小分けされているもので、時間にすると5分くらいで終わります。その方法だと寝ている状態でも学習でき、「1日何もできなかった。」と自分を責め続けていた状態を「今日は5分頑張った」に変えられるのではと試してみました。

 次に、コミュニケーションが減ってしまうことへの対処として、学校以外の居場所を探しました。ところが、僻地である地元にはフリースクールや適応指導教室といった、いわゆる「学校以外の子供の居場所」がありません
 そこで、少し離れた場所にある料理教室とスポーツ教室へ通ってみることにしました。生活の中で何かしらの楽しみを感じて欲しかったからです。

 そして、ただ単に散歩を提案してみても動かなかった娘に、学校の先生に手紙を渡しにいってもらうという目的を持たせてみました。娘は学校へ行けない罪悪感から学校を直視できないほどに疲弊していました。そこで、先生の帰る時間に待ち合わせしてもらい、その日の様子を書いた手紙を手渡すことで少しでも体力の低下を防げるといいなと考えたのです。

不登校から抜け出しつつある今、それらの不安はどうなったのか

 ここまで読み進めてくださった方の中で「なんか胡散臭くない?こんなにうまくいくのかな。」と感じたあなた、
なかなか鋭いです!

じつは、上記の提案はすべて私の願望なのです。娘は実践しようと努力してくれましたが、決して自分から「してみたい」と言ったことではないのです。では、なぜそうなってしまったのか。

その当時の娘は、O Dの特徴の一つでもある「決断ができない状態」にあったからです。集中力とともに決断力が落ちた状態で、母である私への罪悪感から、言われるがまま私の提案を受け入れてしまったのです。

 娘は現在、全日制の高校に通えるくらい心身共に回復しています。しかし、当時はただでさえ動かない体を私の望みのために無理やり動かし、回復に数日がかかることが少なくありませんでした。

 私は、すべて娘のためではなく、私自身の安心のためにしていたことに気が付いてはいなかったのです。娘が最近になって「いろいろさせられたけど、約束が守れなかった時にイライラされることが本当は嫌だった。」と打ち明けてくれました。ショックを受けたとともに反省しています。

大人が不安と上手に付き合う姿を子供に見せよう

 不安という感情は、わからないことや知らないことに対して生まれやすいものです。私は、学校へ通っていた自分の世界しか知らず、娘のように学校へ行かない世界を知りません。知らない世界に不安を感じた時、自分の価値観に置き換えて安心したいと思うのは、私だけではないはずです。

 大切なのは、人生の主役である子供たちが、何を望むのかということです。その答えが出るまで、親も長く時にはつらい時間を過ごすことになるでしょう。そして、どんな道でも、一緒に悩みながら進むことです。子育てを完璧にこなせる人はいません。不安が大きくなった時は一人で抱え込まず誰かを頼り、迷った時は楽しむ気持ちを大切にしながら、子供が離れるその日まで一緒に過ごしたいと思っています。

 

 

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