サービスと差別は紙一重なのだ。

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菊地コーヒー

コーヒー屋さんを始めて、気づけば半年くらい経った。

まだ半年という気持ちと
もう半年という気持ちが入り混じりながら
今日も豆を焙煎する。

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サービスしたくなる気持ち


さて、半年もやってるとお得意様のような
毎月のように買ってくれる方が現れる。
ありがたいことである。

いつも買ってくれるからちょっとくらいおまけつけてあげたいな。
ちょっとくらい量増やしたりしたいな。

たぶん、客商売をやってる方は絶対一度はこんな気持ちを味わってると思う。
とりわけ、自分の裁量で商品の量をある程度変えれる場合は特に。

でも世の中面白いのは、
そういうサービスは時に芳しくない結果を招くことがある。

サービスとはすなわち差別である。

大学の頃、ずっと喫茶店で働いていた。
厨房を任されていたので、基本的にずーっと料理やらパフェを作ってた。
暇な時間帯はなんてワンオペで、オーダー受け、調理、提供して、お会計まですることさえあった。

ある日、ある子連れの家族がやってきて、パフェを頼んだ。
よく来る家族で、とても愛想もよく、接客していて気持ちの良いお客さんだった。

そんなもんで、僕はついそばにいる店長に、

イチゴ、一個増やしていいですか?
とほんの出来心で聞いてみた。
店長は少し複雑な顔しながら、
首を横に振った。

なぜ、ダメだったのだろうか。
良かれと思ったサービスで、喜ばれると思ったのに。
(もちろんイチゴ一個分の経費はかかるけれど。。。)

でもそこには納得せざる理由があったのだ。

サービスは、時に差別となる。

例えば、
今日、イチゴを多くする。
家族はとても喜ぶし、また来ようと思ってくれる。

でも次来た時、イチゴの量を絶対意識することになる。
その時、いつもと同じ量だった場合、

あ、いつもの量だ。って思う。
普通の当たり前の量なのに、減ったような感じがする。

前は増えてたのになぁー。。と
過去のサービスと比べてしまう。

つまり、一度サービスするならし続けなければならないのだ。


そして、そのイチゴの量を他のテーブルのお客さんが見た時、
あの家族だけずるいって思うに決まっている。

自分だけ少ないと差別されているように感じる。
これもまた当たり前。

だから、誰かにサービするするなら全員にサービスしなくては
サービスが差別を生むことになる。
 
良かれと思ったことが、結果として、マイナスな結果を産んでしまうのだ。


一度サービスするなら最後まで、
一人にサービスするなら全員に。


これが客商売の鉄則なのだ。
と僕は当時教わった。

菊地コーヒーのサービス

そんなことがありまして、
菊地コーヒーでは基本的にそういうサービスはしないようにしている。
量を増やしたり、おまけつけたり。

でもそれだとやっぱり感謝の気持ちが伝わらないような気もする。

そんな時ふと考えたのは、
サービスってとどのつまり、

自分が特別に思われていることが根元にあるのでは、と。

だとすれば、量とかそういうのではない方法で、
特別感を伝えたい。
そう思って、手紙を書くことにしたのだった。

この商品はあなたのために、
この手紙はあなたのために。

そういう想いがちょっとでも伝われば嬉しい。
そう思っているのです。


ということで、
菊地コーヒーの新しいホームページができました。

 

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菊地コーヒーは自家焙煎のコーヒー豆を販売しています。オンライン販売のほか、出張カフェやコーヒー・ハンドトリップのワークショップ、定期便などのサービスも提供。「人生を丁寧に生きる一杯」をお届けします。

 

 

 

コーヒーの定期便も始まったので、
是非みなさま、ご覧くださいませ。

 

 

 

 

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