今日は少し飲みたい気分だった。
別に何かあったわけではない。
いや、強いていうなら、
お客さんの名前を間違えてPCへ入力したことや、
書類の提出が少し遅れるなど、
そういう小さなミスはあった。
もちろん全てその場で訂正したし、
大事には至らなかった。
だが、
そういうのを忘れるために
お酒の力を借りたいのではない。
なんというか、
ふとした時に訪れる「寂しさ」のようなものから
逃げたかった。
よく
神様は「全人類に時間を均等に与えた」と聞くが、
そこには
「寂しさ」
をも付け加えるべきだと私は思う。
決して広くないはずのワンルームが
水平線のようにあてもなく広く感じる。
自分の存在がまるで
砂漠の一匙の砂のように感じる。
この寂しさを忘れることができないことくらい、
こんだけの人生を生きていれば理解できる。
ただ少しの間だけ、
逃げさせてくれればそれでよかった。
だから私は少しだけお酒を飲むことにする。
そして、
いつものように手記を開く。
僕と同じように
「寂しさ」を与えられたはずであろう彼の手記を。
善意と悪意の狭間で
インドの夜行列車は
グレードが分かれている。
要は新幹線の
自由席、指定席、グリーン車のようなものだ。
一般的に旅人が利用するのが、
3人がけの椅子が向かい合った座席だ。
ハリーポッターに出てくる、
ホグワーツ特急のようなあのタイプだ。
そして夜にはその座席が文字通り魔法のように、
簡易ベットへと姿を変える。
まず、
もともと人が座っていた場所が一つのベットとして使われる。
次に、
背もたれになっていた部分が
垂直に動き、固定され、
そこが二段目のベットとなる。
そして最後は
天井から三段目のベットが吊り下げられる
これでめでたく、
片側に3つ、
計6のベットが出来上がるというわけだ。
ちなみに、
現地民がよく使う一番グレードが低い座席は、
日本の一般的な電車と同じように、
長い座席が置かれているらしい。
ただ、席という概念はないに等しく、
床全てが席となり、
足の踏み場がないくらい無法地帯になると聞いた。
幾ら何でも、
そこで一夜を明かす自信はなかった。
バラナシに向かう電車は決して快適ではなかったが、
退屈なものではなかった。
座席が同じになった旅人といろんな話をする。
窓からは
今まで見たこともない風景が
足早に過ぎ行く。
売り子がひっきりなしに
チャイやお菓子を売りにくる。
僕はふと、
タバコを吸いたくなった。
僕の眼に映るこの景色を見ながら
タバコが吸いたくなった。
そんなことを呟いたら、
目の前に座っていた旅人と
タバコを吸いに行くことになった。
だが、この無法の国インドでも、
電車内は禁煙だ
とそばにいたインド人に言われた。
それなら諦めるしかない、
そう思っていたら、
ただし、
トイレなら吸えるよ
そう教えてくれた
風景を見ながらタバコを吸いたかったのに、
トイレでしか吸えないのであれば、
全てが台無し、
本末転倒だ
と思ったが、
いつの間にか
僕の身体は風景よりも純粋にニコチンを求めていた。
トイレの個室に入り、鍵を閉め、
タバコの先端に明かりを灯す。
便器は恐ろしいほど不潔だったが、
臭いはあまりしなかった。
というのも便器は、
ボットントイレのようになっていて、
用を足したらそれがそのまま線路に落ちる仕組みになっていた。
つまり常に高速で移動する線路が
便器の穴から見えており、
換気性抜群だった。
お察しのように、
インドの電車の線路は
排泄物で溢れている。
やはりインドはインドだ。
そう思った。
その時、
ドアを力強く、
そして悪意を持って叩く音が響いた。
なんだか嫌な予感がして、
吸ってたタバコの火を消して、隠した後、
扉を開けた。
そこには車掌さんらしき人が
険しい表情で僕をにらみながら立っていた。
そして、たった一言、
罰金
と告げた。
話を聞くと、
やはり電車内での喫煙は禁止されており、
罰金を払わなければならないという。
トイレももちろん罰金の対象だと言う。
とりあえず
シラを切るしか無い。
吸っていないと主張して
どうにか逃げ切ろうかと考えた。
でもその車掌らしき人は、
罰金を払えとしか言わなかった。
これはもうしょうがないか。
と諦めて謝りかけた
その時、
一つの疑問が湧く。
そもそもなぜこの男は
僕がここでタバコを吸っていることを
知っているのだろうか。
換気性もいいこのトイレで吸っても
車内に匂いが充満することもない。
そしてなにより、
タイミングが良さすぎる。
おかしい。
すっと車掌の奥を覗き見る。
そこには、
僕らに
トイレならタバコが吸えるよ
と告げたあのインド人が
ニヤニヤしながらこっちを見ていた。
ピーンときた。
そうか。
グルか。
こうやってあの男は
旅人にトイレでは吸えると伝えトイレに行かす。
そしてその直後に車掌を呼び罰金を取り、
分け前をもらっているのだ。
そもそもこの男が車掌である証拠もない。
なんだか腹がった。
絶対に払うもんかと決めて、
そこからは
吸っていないと一点張りすることにした。
車掌が体からタバコの臭いがするといえば、
電車に乗る前に吸ったと返し、
吸い殻が落ちていると言われれば
僕が吸ったものではないと言う
要は僕がタバコをここで吸ったという証拠がないのだ。
このようなやりとりが20分も続いただろうか
僕は解放された。
席に戻ると、一緒にタバコを吸いに行っていた旅人はもう戻っていた。
彼のところにも車掌らしき人物が来たらしい。
もちろん払わず逃げて来たと言う。
なんだかとってもくたびれてしまった。
もちろん
僕の頭の中には、
罰金対象のことをした、という
事実は消え去り、
騙されたことにより、
自分の罪はとっくに正当化されていた。
スキを見せれば被害にあう。
それはわかる。
スキを見せたこちらが悪い。
だが、あの手この手で騙してくるこの国で、
何が本当で何が嘘かわからなくなる。
その
善意の裏の悪意に辟易とし始めた。
もう今日は寝てしまおう。
電車は相変わらず一定のスピードで
景色を置き去りにしていた。
ここまで読んだ時、
私はさっきまで感じていた
「寂しさ」からどうやらうまく逃げきれていた。
少し疲れていたのかもしれない。
新しい職場、不慣れな通勤路、
そしてまだ心を開いてくれない部屋。
私を疲れさせるには十分な材料が揃っていた。
彼も同じ気持ちだったのだろうか。
新しいこと、知らないことに出会うと
人はどこかに恐怖感じる。
それに適応しようとするには
少なくないエネルギーが必要となる。
誰だってそうだ。
もちろん「知らない」ということは、
知的好奇心になりうる。
でもそれは、
「知らないことへの恐怖」の裏返しである。
悪意も善意も
時としてその様相は入れ替わる。
不自由と自由が表裏一体なのと同じである
インドという比較的自由な国で、
他者からの干渉
(その多くは詐欺という衣をまとって)を受け、
不自由になる。
そんなパラドックスに彼は
今、疲れているのだろう。
私もまた同じように。
次の日の早朝、
電車は目的地であるバラナシへ
大げさな音を立てて滑り込んだ。
日が出る直前で、
あたりはまだ薄暗く、そして肌寒い。
そんな風景には似つかないほどの、
大勢の人が駅から吐き出され、各々の道を行く。
僕もその大勢の内の一人だった。
ただ異なるのは僕の足がどこに行くかを知らないことだった。
この後どうしようか。
あてもない歩みはどこか朧気で
その一歩の価値を忘れている。
とりあえず
人の流れに身をまかせることにした。
外国人だからか、ひっきりなしに
インド人が話しかけてくる。
商品を売りつけて来たり、
ツアーを紹介して来たり、
無理やりタクシーに乗せようとする。
ここ最近の出来事、
そして硬いベットでは
解消しきれなかった疲労も相まって、
全てが鬱陶しくて仕方なかった。
無視をしてもついてくる。
良い加減にしてくれ。
そう思った時、
久しく聞いてない
関西弁が聞こえた。
兄さん、
騙されたんちゃう?
めっちゃ怖い顔してるで。
インドではな、
笑っとかないとあかんで。
小さめのインド人の青年が
僕にそう語りかけた。
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