ひまじんはいかにしてひまじんになったのか。「遠いどこかの街角で」3 大学院生 編

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ひまじんの挑戦シリーズ






あぁ、僕は負けたんだな。って。

博士課程どころか、修士さえも修了できず、

日本の教育を変えるなんて、夢のまた夢だった。

 

あぁ、自分ってこんなもんだったんだな。って自覚しました。

 

人生で初めて、

心がポッキリ折れる挫折でした。

 

 

 

 

 

本文より引用。

 


 

 

みなさんこんにちは。

 

「暇人はいかにして暇人になったのか」

〜遠いどこかの街角で」〜 編 第3話です。

 

 

 

第1回目では、ひまじんさんの受けてきた少し変わった人生を、


第2回目では、今につながるルーツを見てきました

 

そして今回第3回目では、



ひまじんさんがなぜJICAに来ることになったのか、

そしてその背景にある、大学院生活に迫ります。


おそらく最終回になるでしょう!!
第三回に渡り、
長らくお付き合いいただいて

ありがとうございました!!


では、本編です。

お楽しみください




 

『自分に負けた』

 

その言葉は
はっきりとした悪意を持って二人の間に漂い続けた。

 

 

『どうして』

と問うことさえ憚られるような沈黙だった。


(例えそれが僕の仕事だとしても)



その沈黙を破ったのは、

 

毎度おなじみの店員さんだった。

 


もはや彼女にとって、

この沈黙を破ることでさえも


仕事の一部かのようにごく自然に

注文を聞いた。

 

**なにか、追加のご注文はありますでしょうか?

 

 

——あぁ、えっーっと。。。



僕の口が言葉を思い出そうとしているうちに、



「ゲイシャコーヒー、ください」

 

 

 

——ゲイシャコーヒー、、、いいですね。

飲んでみたいと思ってたんですよ。

日本ではなかなか飲む機会なくて。。

 

「そうですよね。なかなか希少価値が高いです。

そうだ。ぜひパナマのボケテという場所に行ってみてください。

美味しいゲイシャが気軽に飲めますよ」

 

ボケテ記事


(ちなみに、欲しい方がいたら、持って帰るので
メッセージやら何かしらのアクションください)

 

 

——ははは。これはこれはご丁寧に。ありがとうございます。

 さて、ひまじんさんの人生の中で一番辛かった


『大学院生活』について、

教えていただけませんか?

 

 

「えぇ、構いません。
ただ、少しだけ曖昧なところがあります。


なんせ記憶が少し抜けているので。。」



そういって少しだけ笑った。

いつもの笑顔だった。

 

 

「先ほど、僕が大学進学を決めたのは、

日本の教育を変えるため、と言いましたよね。」

 

 

——えぇ。確かにお聞きしました。

 

 

「ですが、結局のところ、僕にはそんな力はなかったんです。

少なくとも、総理大臣や、文科省大臣になるほどの力が。


 それでも日本の教育に何かしらの影響を与えたい、そう思う気持ちはありました。

そこで考えたのが、


『大学の教授になる』


ということでした。」

 

 

—ーなるほど。そういうことだったんですね。



「それに、僕自身、少年時代から引っかかっていたモヤモヤ、
つまり、


『教育ってなんだろう』


『勉強ってなんだろう』



『僕らの学びと一般的な勉強は何が違うのか』




そういったのが

大学じゃ全然スッキリしなかったんです。

なので院まで進んだらわかるかもしれない、
そういう期待もありました。」

 

 

——つまり、日本の教育に一石投じるため、
そして、自分自身のルーツを解き明かすため、
大学院に進学した、
ということですか?

 

 

「いやいや、
そんな大したことではないですよ笑


とにかく、そんなことを考えたら
より一層大学院に行きたくなったのです」

 

 

ーーでは、院は大学と同じ場所に?

 

 

 

「いえ、場所を変えました。

本音を言えば、教えを請いたい教授が大学にいたので、
残りたかったんですが、

僕が在学していた大学には博士課程がなかったのです。


それに違う世界に行きたかったという好奇心もあって
大学を変えました。

長野から関西の方へ。」

 

——そうだったんですね。決め手は何だったんですか?

 

「恥ずかしい話ですが、国立で、博士課程があり、
 英語の試験がない大学院を選びました。

それ以外はもうどうでもよかったですね。
とにかく院に行きたい。その気持ちだけでしたね。」

 

 

——英語の試験がない場所・・・ですか。
どうしてですか?免許も持っているじゃないですか。

 

「んーーまぁ、そうなりますよね。

じゃあすいません。
ここからしばらくオフレコでお願いします。

 

——あ、はい。わかりました。

 

そうして僕はボイスレコーダーのスイッチを切るフリをした。

 

「実はJICAを応募する時にトイックの点数が必要なんですよ。

ですので、大学院二年生にトイックを受けたのです。


その結果、


350点でした。


そしておそらくこれが人生で一番最高得点です。」

 

 

——え!??免許持ってるんですよね?
  それにJICAの試験ってそんなもんでいいんですか?

 

 

「大学の教員免許はそこまで当てにならないってことですよ。

まぁ、多少言い訳しますと

僕は英語の文法とかそういうのではなく、
英語史とか英米文学とかの方を
メインに受講してたってのもありますけど。

 

また、JICAも、英語の試験は300点以上あれば応募できます。

だからそこまで英語は重視されてないんですよ。
といっても僕はギリギリでしたけど 笑」

 

 

——はぁ、なるほど。なんだか笑っていいのか微妙な話題ですね。。

 

なんだか狐に包まれた気分ではいたが、

ボイスレコーダーのスイッチを入れるフリだけはしっかりとした。

 

 

 

「まぁ、そんなこんなで大学院に入学することはできたのです。

毎日はとても楽しかったですよ。
充実していたと思います。最初のうちは。。。

 

——そうなんですね。ではその最初の方の生活を少しだけ
  詳しくお願いします。

 

 

「そうですね、例えば僕は大学の図書館でアルバイトしていたので

本に囲まれてました。

好きな本をひたすら毎日読めるという幸せがありました。

最初の頃は1日1冊ペースで本読んでましたね。確か。

それに、大学院に来る学生は、

何かを勉強しに、もしくは知りたくて来てる人ばっかなので、

日常会話でお互いの研究の話ができたり、
本の話ができたり、とても楽しくやってましたよ。

 

本読んだり、なにか新しいことを知ることってのは

本当に贅沢なことだとなんだなって。

ほら、人ってなにか新しいこと知ると

とても嬉しいじゃないですか。

 

そういう好奇心だけは

ずっと大事にしていきたいなって
大学院生活を通して痛感しました。

 

もちろん懲りずにゲリラカフェもしていました。

大学では怒られましたけど、大学院では助成金が出て、
大学からお金もらいながらやってました笑


そう言っていつもと同じように
ココアシガレットの封を切った。

 

——へぇー!!なんだかとっても面白そうな日常ですね。羨ましいです。

 

 

「ですが、研究の方はさっぱりでした。

僕は基本的に全力で遊んでいきたいタイプの人間だったので、
ゼミの時間もかならず一個おふざけを入れたかったんです。

例えば、ゼミの資料と別に、
『大いなるひとりごと』というシリーズを必ず作って配ってました。

 

大いなるひとりごとはひまじんさんのブログに一部分だけUPしてあるので

気になる人はチェックしてみてください。

A4一枚に収める分量で書いているそうです。

 

 

「しかし、それを良しと思わない教授が担当だったのです。
とても真面目な方でした。

研究者としてはとても尊敬しますし、かっこいい先生でした。
しかし、なんていうか馬が合わなかったんですね。」


そう言ってばつが悪そうに
ココアシガレットかじる。

 

——あぁ、よく大学院は教授との相性だっていいますよね。

 

 

「その通りです。
それに今までちゃんとした文章なんて
書いたことなかったので、

日本語もめちゃくちゃで、毎回怒られて、


僕が勝手に恐怖を感じるようになってしまってました。


そしてそれが原因で僕の大学院生活の闇が始まって行くことになったのです。」

 

「もちろん、自分の実力不足がすべての原因なのですが


『こんなの研究じゃない』


『日本語もちゃんと書けないのか』



と毎回言われてたら流石に心にくるわけです。


先生も、院生のことを、


『学生ではなく、研究者の卵として扱う』とおっしゃってたので、

そういう意味では致し方ないのかと思いますが、

さすがに応えました」

 

 

とても早口で、ひまじんさんは当時のことを語った。

すこしだけ、顔が引きつっていた。

どうやら本当に思い出したくない過去だったようだ。

と思ったら、

引きつってたのは、ゲイシャコーヒーが酸っぱかったからだった。

 

 

 

——それは。。なんともいえない辛さですね。。。

それで、そのあとどうなっていったんですか?



「まず最初に、教授に会うのが怖くなりました。

いざ出会うと言葉がでないんですよ、



『あ、あ、え、っと、その。。。』


みたいな感じで。

そこから院生室に行くのも怖くなって来て、

同期と会うのも怖くなって、
最終的には大学の敷地内に行くのも怖くなってました。

部屋のベットから起きる気力も無くなって、

かといって目を瞑ったら修士論文のことが頭に浮かんで、

寝れやしない。

地獄でしたね。

でも、頑張らなきゃ、自分ができないのが原因だって思って


踏ん張ろうとするんですよね。


それが余計にいけなかった。」

 

 

「そしてある日、うつ病と戦ってる友人に言われたんですよ、



『おい。そのままいくと取り返しがつかなくなるぞ。』


『逃げろ』

って」

「その一言で、


『あぁ、そうか。逃げなきゃまずいんだな』

と自分の状態をようやく分かったのと同時に


『逃げてもいいんだな』って思ったんです。

 

そしてその時に実感というか自覚したんです。


あぁ、僕は負けたんだな。って。
博士課程どころか、修士さえも修了できず、

日本の教育を変えるだなんて、夢のまた夢だったって。

『あぁ、自分ってこんなもんだったんだな』


って自覚しました。

人生で初めての心がポッキリ折れる挫折でした。」

 

 

———それは・・・いつ頃ですか?

 

「ここらへんの記憶が曖昧で、

あんまり覚えてないのですが、

大学院2年の春から夏くらいですかね」

 

「そしてそのまま親に
『大学院やめる』

って伝えて、


僕の所属していたコース長の教授に相談しに行ったのです。

 

もちろん、手には退学届をもった状態で、です」

 

 

——そこまで深刻だったんですね。

 

「えぇ、もともと大学院は自分のお金で行っていたので、
親も好きにすれば、って感じだったし、


自分自身がもう一人でやっていける自信がなかったんですよ。

それほどやめたくて逃げたくして仕方なかったんです。

もう、心が耐えられなかった。」

 

 

 

——そうでしたか。大学院2年生の夏、

つまり修了まであと半年と聞くと、少しもったいないような気がしますが、

それが良かったのかもしれないと思ってしまいますね。

 

 

「えぇ、でも僕はこの後、

精神を病むことなく、退学も休学もせずに、
大学院をちゃんと修了し、JICAボランティアになりました。

結果だけ見ればすべてうまくいったんです。」

 

——?え、修了されたんですか?どうやって?

 

 

「えぇ、僕が退学届を持って行ったあの日、


所属コース長の言葉で僕の世界が変わったんです。


あれがなければ僕はきっとダメになってたでしょうね。


間違いなく。」

 

 

ひまじんさんを救った


教授の言葉とは、


そしてこのどん底からどのように

JICAのボランティアへと這い上がって行ったのか。

 

次回本当に最終回!

 

お楽しみに!

 


 

 

いや、終わらんかったわ。

全然終わらん。

 

てかね、
前半のボケテの記事紹介のくだりまでで、
1000文字くらい使ってるもん。

 

別に店員さん必要ないし、
ゲイシャ飲まなくてもいいんだけど、


なんかお約束感出ちゃってるじゃん!!

 

とまぁ、それはいいとして、

次で大学院〜JICA編書いて

終わりにしようかな。

 

絶対3話じゃ終わらん。

 

みんなも自分の人生1万文字くらいで表してみ。


意外と楽しい。

 

 

じゃあ、またねー。






 

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