[不登校] 学校は大人になるための訓練所なのか。

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ー小さな声が明日を変えるー 「不登校」・「フリースクール」・「オルタナティブ教育」に特化した ウェブメディア「Voices」 リアルな声、明日を変えたいという想いをカタチにする。 「小さいけれど確かな声」を集め、誰かの背中を押す原動力へ変える。 
あなたの声を聞かせてください。 ******************…

 

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*公教育の必要性

 学校へ行きたくないという意思が尊重されはじめ、オンライン学習やフリースクール・オルタナティブスクールなど、公教育以外の選択肢も増えてきていますが、未だにそのような選択肢が当たり前に受け入れられているとは言い難い状況だと思います。

 不登校への理解が進んでいるにもかかわらず、学校に行くべきという空気は根強いままです。
不登校のレッテルを貼られて嫌な思いをしたり、聞き飽きるくらい学校の必要性が語られたりするのは、まだ公教育のメリットを経験してきた人たちが圧倒的に多数派だからなのではないでしょうか。未来を担う子どもたちには自分が経験したメリットを同じように経験してから社会にでてほしいという期待感のあらわれなのでしょう。
しかし、多数派の意見だからといってそれに従う必要性はなく、
自分の頭で公教育の必要性を考えたいと私は思います。


 コロナ禍から様々なオンライン教育が広まり、各々に合わせた個別学習が注目されるようになってきました。その結果、
・集団学習の必要性は何か
・それは学校という場でしか得られないのか
という事について考える人が増え、オンライン学習だけで良い・登校は必要ない等の極端な意見を聞くようになりました。

一方で「学校は社会生活の練習の場」「ものごとの多様な見方・考え方を養うことができる場」であるという意見も聞きます。

 確かに、学校は、SNSなどの打ち込まれたワードによってつながった集団や趣味、習い事の集団とは違い、異なった価値観を持った人たちが、近所に住んでいるという理由だけで集まる場所です。
そういう意味では、学校は多様な価値観を知ることができ、考えを深め、自我を磨いていくことができるのは事実でしょう。
 しかし重要なのは、学校の中で社会生活の練習をしたり、多様な見方・考え方を養ったりするためには、前提として「忍耐力」と「レジリエンス(回復力)」が土台として必要なことです。

*多様な世界を生きるために必要なもの

 現在は多様性の時代と言われ、様々な価値観が認められています。偏見を持つことは良くないと考えられ、自分の価値観を持ちながら他者の価値観をも認めることが求められます。学校へ入学して、多様な価値観に出会った時に、既に自分の価値観を持ち、それを上手にすり合わせて友だちと協調することができる力を持っている子どもはほとんどいないでしょう。
 そのため、自分の価値観を守るために、過剰に攻撃してしまうかもしれません。もしくは、自分の価値観を否定されたように感じ、表現することを恐れるようになるかもしれません。衝突を避けるために自分の価値観をもたなくなるかもしれません。
 いずれにしても、そのような経験自体は悪い事ではなく、むしろその経験を積むために学校があると考えられているからこそ「多様な見方・考え方を養う場(学ぶ場)」とされているのでしょう。

 けれども、そのような経験を繰り返しながら他者との違いを理解し、自我をうまく表現できるようになる子どもがいる一方で、「忍耐力」や「レジリエンス」が足りず、自分の考えが通らないことに我慢できない子どもいます。集団に属さないことを選んだり、否定をされたことに耐え切れずにふさぎ込んだり、自我が統一されないまま大人になる子どもがいることを忘れてはなりません。

 そのような場合、まずは自分の考えを落ち着いて、かつ自信をもって表現できるようになるまで、安心できる場所で、忍耐力やレジリエンスを身に付ける練習の時間が必要です。これは、力がないという訳ではなく、単なる経験数や身につくスピードのことなので、練習が必要だからと言って何の問題も無いほどの差異だと思います。

*学校という名の理不尽さ

 野球なら、何歳になってもキャッチボールをしたことがない子どもを突然試合に出すことはしません。試合を繰り返せばうまくなるとも言いません。それなのに、学校は年齢で区切られ、突然、各々の経験値とはおかまいなしに実践的な課題が飛んできます。それも、結構な難題ばかり。
 45分椅子に座るだけではなく、
*『遊びたいけど、授業が始まる前にトイレに行っておくべきか』
*『ふざけると怒られる、真面目すぎると面白くない奴と思われる』
*『A君とB君は仲が悪い、どちらとも仲良くしたい』
などの選択まで、学校生活は葛藤が多く、突然答えを迫られます。
 そして更に、迷っている暇もなく、「10回やったら座りましょう」などと言われ、注目を浴びながら最後までやらなくてはならなくなったり、「ペアを組みましょう」といわれて嫌な思いをしたりするのです。
それでも、社会に出るための訓練として辛い思いをしながら学校に通うべきでしょうか。我慢しているうちに強くなるでしょうか。

学校以外の安心できる場所では、「忍耐力」と「レジリエンス」は身につかないのでしょうか。

 私は、安心できる居場所を探して、一度、自分の考えをまとめて自信をもって伝えられるようになるまでゆっくり持てば良いと思います。現在は、発達障害やHSP/HSC(Highly Sensitive Person/ Highly Sensitive Child)などの理解も進み、様々な角度から個々の生きづらさに目が向けられるようになってきましたが、それでも、それらが理由となり不登校となっている児童は後を絶ちません。
 そのような児童が、お互いが気持ちよい距離感を見つけ、集団生活や学校は悪くないと思えるようになるようなサポートをしてくれる場所はたくさんあります。

多くの人が自分に合う場所を見つけ、不登校に負い目を感じず、いきいきと生活してくれることを願います。

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