相変わらず彼は少しだけ遅れて
前回と同じ都内のカフェへとやってきた。
そして僕の姿を目に捉えると、
少しはにかみながら会釈した。
ーーお久しぶり、ですね
そう言って僕は、
ボイスレコーダーのスイッチに手をかけた。
みなさんお久しぶりです。
インタビューアーのおきくです。
以前、あの中南米に住む
ひまじんさんへのインタビュー記事を
みなさんにご紹介してきたのですが、
予想以上に反響があり、
続編を望む声が聞こえてきたので、
なんと再び
インタビューを行いたいと思います。
そして今回はあの名シリーズ
「ひまじんはいかにしてひまじんになったのか、その誕生秘話」
の
スピンオフとも言える、シリーズ
「ひまじんは、いかにしてひまじんになったのか『遠いどこかの記憶にて』」
幼少期〜高校 編
をお送りします
どのような人生を彼を送り、
ここにたどり着いたのだろうか。
その人生にすこし寄り添ってみよう。
では
スタートです。
(注:あくまでこれは僕自身の記憶を遡って書いているので、
細かい間違いや勘違いがあるかも知れません。
なので実話に基づいたフィクションとしてお楽しみください。
また、当シリーズは日本の政治体制に意を唱えるのを目的としていません。
純粋に暇な人間の思い出話ですので、ご了承ください。
「えぇ。本当に久しぶりですね。
でもどうしたんですか?
『急にお話を伺いたい』だなんて。
もう僕のことは全部お話したつもりでしたけど・・」
そう言いながら彼は着ていた上着を脱ぎ、席に着いた。
ーーわざわざご足労いただいてありがとうございます。
いや、実はですね、まだ伺ってないことがあったのです。
「というと?」
ーーそれは、
少しだけ、意図的に含みを持たせて
僕はこう伝えた。
ーーあなたの過去です
「僕の、、、過去ですか?」
ーーえぇ、前回は「ひまじんさん」の「今」について
お話聞かせていただきました。
でもどうしても腑に落ちないところがあったのです。
「つまり?」
ーーそもそもなぜ、「ひまじんさん」は「ひまじんさん」たる
人生を送っていくことになったのか、
つまり、そのバックホーンである過去を知りたい、と
強く思うようになったのです。
こう言うとかれは少し困った顔をして、
まるで時間を稼ぐように
定員さんを呼んだ。
「すいません。緑茶ください。」
ーー?あれ、今日はコーヒーじゃないのですか?
「あぁ、すいません。実は最近コーヒーばっか飲みすぎて
ちょっと胃が疲れているんですよ。」
中南米のコーヒー飲み比べしてみた。1 El Salvador
ついに始まったよー。ひたすら中南米のコーヒーを飲み比べていくというただの自己満企画!最初の国はエルサルバドル!!そのコーヒーの味やいかに!!??
ーーそう、なんですね。
「いえいえ、いいんですよ」
しかし、昔話をしろと言われても一体どこからはなせばいいのやら。」
少し困った表情で彼はまたいつものように
あのココアシガレットをくわえた。
ーーそう、ですよね。ではまず簡単な質問からさせてください。
まず、ご年齢ですが、「ひまじんさん」は何年生まれですか?
「あぁ、そういう話ですか。えー、っと。1993年です」
ーーえ!?そうなんですね!?私も同じです!
確か1993年といえばJリーグが設立されたときでもありますよね。
「え、そうそう!Jリーグ!
まさか同い年だなんて!なんだか嬉しいですね!」
ーーいやぁ、まさか同い年だなんて。。。
ちなみに出身は?
「こう見えて、東京のシティーボーイです」
ーースカイツリーは!?
「みえません」
ーー失礼。ではご兄弟は?
「4人兄弟の3番目です。
生まれた時から中間管理職です」
ーーなるほど。。ありがとうございます。
ではここからはもう少し突っ込んでお聞きしたいと思います。
実は、巷で「ひまじんさんは不登校だった」とお聞きしました。
「えぇ・・・
まぁ、そうですね。」
少しだけココアシガレットを噛む音のスピードが上がる。
ーー話せる範囲でいいので、当時のことを教えてください。
「そんな大した話ではないですよ。
小学校2年生の時に、
学校が面白く無いなぁ。と思ってから行かなくなった。
ただ、それだけのことですよ。
ーーすこし、お聞きしにくいのですが、
その、なにか嫌なことがあった。。。とかですか?
「えーっとイジメ、とかってことですか?
いえ。そう言うことはなかったと思います。
ただ、何となく覚えているのは、、、そうですね。
ほら、一年生の頃ってひらがなを練習するじゃないですか。」
ーーえーっと、国語の授業で、ってことですか?
「そうそう。で、当時の先生はあ行をノートに書いたら
先生の机の前に並んでチェックしてもらって、OKだったら、
か行をノートに書いて。。。という繰り返しだったのです。
ーーそれは結構一般的な光景かと思いますが。。。
それがなにか?
「えぇ、おそらく一般的だと思います。
ただ、その時に思ったんです」
ーーなんと?
「学校ってなんて面白くないんだって」
ーー・・・ほう。
運ばれてきた緑茶の氷が「カラン」と音を立てる。
「そして2年生の時にもう行きたくないなって。
それだけでした。」
ーーその感覚がすごいというか、ひまじんさんらしいというか、
でもなるほど。そう言う経緯だったんですね。
そしてそのあとは?
「僕の人生が大きく変わったのは中高の時ですね」
ーーほう、というのは?
「僕が通っていた学校、中高一貫校の私立だったのですが、
とにかくとても変わった学校でした。」
ーーたとえば?
「代表的なところで言えばテストがなかったんですよ。」
ーーテストが。。ない?
「えぇ、だから僕らはテスト勉強なんて一回もしたことなかったです」
ーーでもそれはなんのために?
「『点数で人間は測れない。もっと大事なことがある』
『人間が、人間らしく生きることが一番大事だ』
というような趣旨の元、点数制度を廃止していました」
ーーなるほど。では評価は誰がするんですか?
「自分です」
その言葉の意味がすぐにわからず、
少しだけ重たい沈黙が流れた。
ーーえぇ、、とすいません。。。つまり。。?
「自分の言葉で自分を評価するんです。テストの点数の代わりに。
つまり、自分で『これがわかった、わからなかった』『こう感じた』
と授業を通して感じたことを自分の言葉でまとめていくのです。
そこにはもちろん点数なんてなくて、
自分との対話がある。
そこに価値がある、そう考えていました」
ーーなるほど。。
・・・えっとすいません。
なかなかイメージできないのですが、、、
具体的にどういうことを行なっていたのですか?
「そうですねぇ。。
例えば社会の授業でお金、とか貧困を扱うとしましょう。」
ーーはい
「そしたら貧困問題をサポートしているNPO団体とかに会いに行っちゃうんですよ」
ーーえ?会いにいくんですか?
「えぇ。そこで直接お話を聞いたり、
ホームレスさんへの炊き出しを手伝ったりするんです」
ーー授業で?
「はい。そしてそう言う活動、経験を通して、
『自分がどう貧困問題に向き合っていくか』というのを自分の言葉で紡いでいくのです」
そこには正解、不正解の点数の世界ではなく、
もっとリアルな世界の言葉があるはずです。
そういう言葉を大切に一つ一つ見つけていく。
それが僕らが受けていた教育でした。
ーーなんだかすごい世界ですね。
「かなり珍しい教育だったと思います
友人は平和学習の一環で
広島で被曝を免れたピアノを
市にお願いしてお借りして
学校まで運び、みんなで歌を歌う
そんなことまでやってました。」
ーーすごいですね。。。ちなみにいつごろですか?
「たしか中学生だったと思います」
ーー中学生!?それはなんというか、すごいですね。
先生も大変だったのでは。。
「いえ、僕らの学校では先生は基本的に表に出てきません。
子どもたちが中心でいろんなイベントを企画して行います。
このピアノの企画も当時の友人が企画していたようなそんな記憶があります。」
ーーそう、、なんですね。なんだか一般的な教育とはかけ離れていて
なんというか、その、いい教育だったんですね。
羨ましいです。
「ところが、そうでもないんです」
ふいにひまじんさんの顔が曇る。
と思ったら、頼んでた緑茶がすこし渋かったらしい。
ーー?
「でも少なくとも言えるのは、
この時の経験が、のちの僕の人生に大きく影響を与えたのは確かです」
ーなにがあったのでしょうか?
新しいココアシガレットの封を切ろうとしていた
その手が止まる。
「僕たちは、嫌われてたんですよ。
周りの学校から、
そして、、、
国から。」
ーー・・・つまり、それはどういう?
「先ほども言ったのですが、
僕たちの学校は
世間一般で言われるような「勉強」をしなかったんですよ。
教科書を覚えるような、「勉強」を。
ーーえぇ。そうおっしゃってましたね。
「そうすると、周りからは『遊んでいる』
そう評価を受けるわけです。
そして、僕らの学校は私立だったので、
助成金を国からもらう権利があるはずだったんですが、
その助成金を出さないという脅しを受けていました」
ーーなぜ?
「勉強しないから、らしいです
つまり偏差値が低く、名の知れた大学に進むものも少ない。
そう言う学校に助成金は出さない。そういう理由だったと思います」
ーーでもその分違う形でいろんなことを学んでいたのでは?
「えぇ。その通りです。確かに当時の僕らは
センター試験のような問題は一切解けなかったでしょう。
でもその代わり自分が生きているこの世界で何が起きているか、
自分の目で見て、手で触れて学んでいたんです」
ーーではなぜ?
「それが当時の日本の社会では評価されなかったんですよ
『そんなことより教科書1ページでも多く暗記しろ』って」
ーーそんなことがあったんですね。
「でもその時の経験が
僕の中で本当に貴重なものとなりました。」
ーーつまり?
「僕はその時考えたんです。
なぜ僕らは他の学校や国から
勉強しないと言う理由で嫌われているのかって。
教科書を机の上で暗記するのと、
実際に人とお話をして、身をもって世界を知っていくのと
何が違うのかと。
どっちも大切なはずなのに
なぜ、一方的に僕らの学びは認められないののか、と」
ーーその通りですよね。どっちがいい、というのでもなく、
どちらも必要なことかと思います。
「えぇ、僕自身、そう思っています。
しかし、社会は、少なくとも当時の社会は
僕らのことを認めてくれなかったんです。
僕らの『学び』は『遊び」』だと」
それがすごく悔しくて、
そして憤りもとても感じてました。
ーーそのお気持ち、わかるような気がします。
「だから、、、
だから当時の僕は決めたんです」
ーーなにを?
「総理大臣か文科省の大臣になって
この国の
社会を、
価値観を、
教育を、
変えてやるって。」
レジの開く音がする。
小銭の擦れる音がする。
緑茶の氷はすでに解け、
上澄みには水が溜まっていた。
暖かい空気が流れる。
気づいたら
もう春がすぐそこまできている。
やっべ。
楽しくなって書きまくっちゃった。
もっとこう、
僕のトイックの点数とか
持ってる資格とか
コーヒーにいつ目覚めたか
とか
そういう気軽なインタビュー記事にしようと思ってたのに、
気づいたらなんかシリアスな感じになっちゃった。
まぁ、いいか。
うまいこと織り込んで行こう。
ということで新シリーズはこんな感じで始めましたー。
よろしくね。
コメント
おきくさん!
感銘を受けたのとツイッターの文字数に収まりきらなそうなので今回はこちらからコメント失礼します!
だいぶ前の話なんですが、インドネシアの山奥で(私もおきくさん同様コーヒー豆をあれこれしてた時代がありまして笑)現地の人達としばらく生活してました。
その時に『日本人は教科書ばっかり読んでるから頭が硬い』みたいな事を言われたんですよね。
現地の人達は学校に通った事がなくて、むしろ必要無いとまで言ってました。その人達にとって『教育は、生きる知恵を学ぶ事。学校に行かなくても山奥で生活しているだけで十分だから。』とか言ってて、ほーー!と感銘を受けたわけです。
ぜんっぜん!お門違いかもしれませんが、今回の記事を読んでこの時と同じ気持ちになりました!!!次回に期待!!!
もかさん!
まさかのここでのコメント!びっくりポンです。
んーー
これはなんというか、すごい難しい問題なんだと思います。
学校(教育)不必要論といいますかなんといいますか、
確かに、その人たちの言うこともある意味正解なんですよね。
だって、その人たちの生活をする上で必要性がないんですもの。
そして、その気持ちはものすごくわかります。
当時、中高生の時の僕は同じ気持ちでした。
学校の勉強なんてくだらない。
もっと学ぶべきことがあるって。
でもこうやっていろんなことを経験すると
そう一括りできないなぁ、ってそれで僕はそのことを考えたくて
教育の道に進んだのです。でもまだ結論は出てません。
もしかしたら出すべきことではないのかもしれませんが。。。
というかモカさんって何者!?笑
あーだこーだの話めっちゃ聞きたい。。笑