「ひまじんは、いかにして『ひまじん』になったのか」  その後 

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パナマ暮らし

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前回

 

 

 

ーー本日はお忙しい中、わざわざインタビューさせていただいて

  ありがとうございました。

 

若いメガネのインタビューアーは

とても丁寧な物腰で僕に告げた。

 

「いえいえ、いいんですよ。どうせ暇ですから」

 

お決まりの決まり文句を口にして

僕は都内のカフェを後にした。

 

 

気づいたら少しずつ風が暖かくなってきている。

 

インタビューを受けるなんて初めてのことだから

うまく答えられたのだろうか、変なこと言わなかっただろうか。

そんなことを思いながら僕は

ココアシガレットを口にくわえ

街を歩く。

 

 

もう、慣れてしまった。

生命が込もっていない街中の喧騒に。

人混みの中にいても感じる孤独な気分に。

 

こんなこと、

向こうにいるときは感じなかったのに。

 

そう、僕はちょっと前まで

日本の裏側、

常夏の国、パナマにいたんだった。

 

 

久々に昔のことを思い出したもんだから

少し、ノスタルジックな気分になってしまうのも

仕方ない。

でも今でも思い出す。

 

あの時、こうしていれば。

あの時、踏ん張っていれば。

 

時折それは僕の深いところを

チクリと刺す。

 

どこが刺されたのかわからないほどの

小さな、

そして確実な痛みだ。

 

 

・・・とはいうものの、

もう一度やり直したいとは思わない。

 

結局同じことを繰り返すような気もするし、

 

自分のとった行動に

反省はしているけれど、

後悔はしていないからだ。

 

 

 

少しだけ、

今日は昔のことを

 

もう少しだけ、

思い出してみようか。

 

ぽりぽりとココアシガレットを食べながら

そんなこと考えた。

 

『「ひまじん」のその後 』

 

ーーーーーーーーーーー

 

10月

 

僕はクビになった。

いや、実際に相方が僕のことを

クビにした訳ではないんだけれど、

でも僕はそう受け止めてしまった。

 

でも周りの人は僕にこんな言葉を投げつける。

 

もっと頑張れた。もっとできた。

新しい相方と一緒に頑張ればよかったじゃん。

 

確かにそれはその通り。

僕はその後の数ヶ月間、ほぼ何もしなかった。

 

それはまぎれもない事実、である。

が、しかし、

同時にそれは真実ではない。

 

つまり

僕が「何もしなかった」のは。

事実である。

 

しかし、ある理由によって、

「何もできなかった」

という側面がある。

 

 

どういうことか。

 

少しだけ、

自分のために、

免罪符を得るために、

 

昔話をしようか。

 

インタビューでは言えなかった

真実を語るために。

 

ーーーーーーーーー

 

パナマにとって

11月、というのは一年の中で

大きな月である。

 

というのも、パナマが

スペインから独立した日、

コロンビアから独立した日

 

どちらも11月なのである。

 

だからこそ、11月は国中が

イベントだらけになる。

 

僕は11月のことを「愛国月間」

と勝手に呼んでいたが、

 

それにふさわしいほど、街中では

国旗がいたるところで飾られている。

 

そして学校でも、もちろん同様だ。

 

(学校を国旗色に染めていく準備が始まる。もちろん授業時間に。)

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そしてなぜかわからんけど

国旗を校庭にひたすら挿していく、

というイベントが開催される。

 

ちなみにこの国旗を挿す穴は

前日に校長から

おい。穴ほっとけ。全員分(100人)な。

という無茶ぶりを食らって必死に掘った

豆ができた。

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さて、

学校は、そのタイミングに合わせて

パレードを何回も行う。

 

僕の小学校は10〜11月の間に6回ものパレードがあった。

 

自分の村を回ったり、地方に遠征したり、

ほぼ全ての学校がこうしてパレードをひたすら繰り返す。

 

そういう月になる。

 

 

そうなると当然ながら、

その準備で10月後半、

そして11月の授業は潰れる。

 

全生徒が教室に集まって

まともに授業できる日なんて一週間

あるかないかくらい。

 

そしてこのパレードに全力投球するのが

パナマの文化である。

 

 (パレードの様子)

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今年は僕の村が会場になったため、

地方からいろんな小学校が参加した。

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ちなみに、

11月は暑い。

その炎天下の中、

半日、子どもはひたすら楽器を叩きながら

行進する。

 

去年は一人子どもが

倒れた。

 

そのためか、

今年は対応策がなされた。

 

普段から水は配られていたけれど、

今年は一つ、追加されたものがあった。

 

これ。

 

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そう。

 

 

オリーブオイルだ。

 

 

 

理由?知らん。

なぜか今年のパレードには

オリーブおばさんがいて、

ひたすら子どもたちの口にオリーブを

放り込んでいくという

世にも奇妙な光景があった。

 

 

この

ほれ、一個いっとく?

という突然の理解不能のフリに

苦笑か思考停止する子どもたち。

 

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いや、なんだろう。

これは。

 

 

 

彼女のこのドヤ顔、もとい

笑顔を見ていたら、ハッと気づいたことがある。

 

もしかしたら彼女は聖母なのかもしれない。

 

聖母マリアだ。そうだ。オリーブを振りまく

聖母様だ。

 

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真面目に取り組んでいる人の裏で、

こそこそと子どもの口にオリーブを打ち込んでいく。

なるほど。表舞台には顔を出さず、

見えないところで静かに働く。

さすがマリア様だ。

 

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その愛はとどまることを知らず、

手を差し出しているにもかかわらず

問答無用で口に放り込む。

 

 

少女の手が寂しく空を切る。

 

 

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彼女はもう口しか見ていない。

次のターゲット、もとい、迷える子羊をみつけたら

一目散にその口めがけてオリーブを放り込む。

 

子どもが手を伸ばそうが何しようが気にしない。

 

そうかこれが愛。。か。

 

よくキリスト教の集会で一口のビスケットをかじるけど、

それに近しいものを感じる。

 

。。。オリーブオイルだけど。

 

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お、っと脱線してしまった。

 

 

ココアシガレットを強く噛み、

もう一度記憶の糸を辿る。

 

余談だけど、ココアシガレットは

ココア味(茶色)じゃなくて、

普通の(白色)が一番うまい。

あと、なんか雰囲気がでる。

いい感じで。うん。たぶん。

 

 

 

そうだ。

 

パレードがあったんだ。

 

だから11月はもう

自分の活動をする余裕なんてなかったのだ。

 

じゃあ12月は?

まぁ、当然出る質問であろう。

 

 

ただ、

驚くべきことに

パナマの教育制度は

12月の中盤から長期休暇に入る。

 

いつまで?

 

 

。。。3月まで。

 

そう。パナマの長期休暇は

3ヶ月にも及ぶ。

もちろん学校は閉鎖される。

 

 

12月の

その中盤までの時間は?

 

ふむ、確かに時間はあった。

 

しかしその時期のほとんどの時間を、

教員は子どもの評価を記入する時間とし、

 

子どもはほとんど学校に来なくなる。

 

 

子どもがいなくても、同僚にいろいろ

話ができるでしょ?

 

ふむ。一理ある。

 

しかし、

悲しいことに、

そのタイミングで相方の母親が

亡くなってしまった。

 

 

そのため相方は学校に来れなくなった。

 

 

無論、

たとえ来ていたとしても

 

 

授業のことだけど。。。

 

 

なんてとてもじゃないけど言えやしない。

 

だから僕は12月の初旬から相方とはもう

会っていない。

 

 

それに、次の授業が始まるまで

3ヶ月ある中であれこれ言っても絶対意味がない。

とも思っていた。

 

 

 

 

 

さらに畳み掛けるように

タイミングの悪さが続いた。

 

 

インタビューでも話したけれど、

毎年、1、2月に文科省のセミナーがあり、

JICAボランティアはそれを担当するのが恒例で、

例年通りなら今年は僕が担当する予定だった。

ある意味それが教育隊員としての

輝かしい功績を残す機会であり、

もっとも忙しい時である。

 

(皮肉を込めた言い方をするならば)

JICAボランティア映えするチャンスでもある。

 

 

しかし、

今年はローマ方法が1月の中旬にパナマに来る、

ということで、

 

そのセミナーそのものが消えてしまった。

 

 

それでもできることはあったのでは?

と、畳み掛けて来る諸君、

 

もちろん僕も頑張った。

 

文科省が開催する公式なセミナーではなくても

非公式で、僕個人で行うセミナーを企画した。

そのための会議もした。

文科省の人間と交渉もした。

実際のプログラムも全て組んだ。

 

しかし、

 

結果はできなかった。

 

 

理由は、

 

「お金がないから」

 

だった。

 

文科省の人間にお願いしても、

今年の予算は全て使ってしまっている

と。

 

教育ができない理由に「お金」を持って来るところに

僕は少し憤りを感じたが、仕方ない。

これが現実だったのだ。

 

 

 

そして間の悪いことに、

JICAパナマの予算も底をつき、

こっちからお金を出すこともできなかった。

 

 

 

つまり、万事休すだった。

 

 

だから僕は

11月から帰国に至るまで、

暇になるしかなかった。

 

 

結局のところ、

 

何もしていない。

 

というのは「事実」である。

だが、

 

いろいろ試みた後、

 

何もできなかった

 

というのが

「真実」である。

 

 

これが、みんなに語れる

最後の真実。

 

そして

言い訳という名の

免罪符である。

 

 

だから僕は

12月から3月までの

約3ヶ月間、何もすることがない。

 

1月の段階で

日本に帰ることを打診したが、

(任期短縮)

 

認められなかった。

 

 

だから僕は

この暇という監獄の中で

身動きが取れず、

 

ただ日々を過ごすという

日常に埋没せざるを得ないのである。

 

そして

思いついてしまったのが

 

やれ、コーヒーつくろう

だの

やれ、チョコレートつくろう

だの

 

地獄のようなアイデアだった。

これはある意味

この「暇」という時間を

何かしらの存在へと

昇華する一つの手段だった。

 

 

そして今に至る。

 

そういうわけだ。

 

 

 

口の中の甘ったるさと

胸のモヤモヤをスッキリさせるために

水を飲む。

 

でもスッキリなんてしなかった。

 

 

台所からカレーの匂いがする。

 

 

今日も今日とて

我輩は暇である。

 

予定は、まだ、無い。

 

 

 

 

 

 

 

え、いいよね?

終えていいよね?

 

ありがとうございましたーー。

 

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