ひまじんは、いかにしてひまじんになったのか。遠いどこかの街角で 編 第2話 大学生編

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ひまじんの挑戦シリーズ





『自分とは一番近い他人で』すからね、
誰も自分のことがわからないのに、人のことなんて余計わからないですよ。」

 

 

そう言う彼の顔はどこか楽しげだった。

 

本文より引用

 


 

こんにちは。おきくです。


ツイッター

この企画は、

以前行ったインタビューのスピンオフとも言えるものであり、

 

ひまじんさんの

 

「今」

 

ではなく、

 

 

「過去」

 

に光を当て、そこに寄り添っていこう。

 

そういう趣旨で誕生しました。


前回第1話

そしてこの企画を編集長に打診してみた


あっさりGOサインが出たので、


不肖おきくが、
インタビューを行い、記事にまとめてみたのでした。

 

 

題して

「ひまじんはいかにしてひまじんになったのか

遠いどこかの街角で 編」

 

第二話、大学生編です。



(今回はなんか、こう、自分語りで特に面白くないかもしれませんが、

あ、こんな生活してたんだな、ってのがわかればいいかと。。)

 





時を遡ること約10年

 

周りから、国から認められるどころか、


嫌われながら教育を受けていた


ひまじんさんは、

 

この国の教育を変えてやると

決意します。



そこからどのような道を歩み始めたのでしょうか。

 

では、はじまりはじまり。

 


ーー都内某所の喫茶店にてーー




——国を変える。。。ですか。

 それはなんともこう。。。突拍子もないというか。。

 

ひまじんさんは

当たり前のことを当たり前に言ってる時のような顔していた。

 

「あはははまぁ、さすがにちょっと引きますよね。何言ってんだって。

実際、今の僕は僕は総理大臣でも文科省の大臣でもなく、
ただのひまじんですから」

 

そう言ってココアシガレットを美味しそうにかじった。

 

 

——え、いや、そういうつもりじゃ。。。

 

言葉はつづかなかった。

 

 

 

「いや、いいんですよ。でも、あの時の僕は本当にそう思っていたし、

なれるとも思ってました。」

 

「だからこそ、あの時決めたんです。大学に行こうって。
教育学部に行こうって。
そして今の教育観がどのようにうまれているのか、

教育はどのように教えられているのか、

それを知りに行こうって。」

 

 

——なるほど。そういう経緯で教育学部にすすんだんですね。

つまり、先生になろうとしたのではなく。。?

 

 

「えぇ、むしろその逆です。
現在の教育を再生産する先生になるのではなく、
現在の教育をぶっ壊しに行くぞ。
そういう気持ちでいきました。」

 

少しだけ彼は懐かしそうに言葉を発した。

 

 

 

 

——あははは、
  なんというかひまじんさんらしいですね。

 

 ・・・あれ、でも、こう言っては失礼ですが、
先ほど、(前回)にセンター試験を受ける能力がない、
っておっしゃってましたけど、

どうやって入学されたんですか?

 

 

「あぁ、そうですね。たしかにそれはみなさんからすると謎かもしれませんね。

まぁ、お恥ずかしい話ですが、僕は勉強を一切してこなくて、

小学校2年生から高校三年生まで、
家で鉛筆を持つことはしたことありませんでした。

 

——それならどうやって、大学に、、?

しかも資料によると「国立の大学」ですよね・・?

 

 

 

「えぇ、長野にある信州大学の教育学部です。」

 

 

 

——ではどうやって?

 

 

「幸か不幸か、僕は小学校、中高と少し特殊な教育を受けていたので、

教育に対して、深い興味と

それを形づける言葉を持っていました。


そしてありがたいことに、

信州大学は推薦があったんです。
だからそれに応募して、合格したんです。」

 

 

 

——なるほど。。それなら納得です。
  たしかにひまじんさんといえば、物事をグッと考えることがお好きだとお聞きしています。

 

 

 

 

「まぁ、こんなこともすきなので」


そう言って彼はすっと一冊の薄い冊子を差し出した

表紙は所々すれており、ずいぶん年季の入ったものだった。

コミュニケーション論

 

 

 

——でも推薦だとしてもいろいろと大変だったんじゃないですか?

 

「いや、そんなことはなかったです。
それどころか試験当日に、筆記用具さえ持って行かなかったくらいですね。
むしろ合格してからのほうが大変でしたよ」

 

 

——というのは?

 

 

 

ココアシガレットを取り出し、

少しだけ話すかどうかを悩んだ末考末、

 

彼はすこしだけ小さめの声でこう続けた。

 

 

「実は、せっかく大学に合格したので、
英語くらいは勉強しようと塾に通ったんです。
でも、普通の塾じゃついていけないことがわかっていたので、
個人塾に。」

 

 

——ほう。

 

「そしたら最初に英語のチェックテストを受けたんですよ。
そしたらその時の先生に、



『君はアルファベットを読み書きできるレベルだね』。


って言われたんです」

 

 

——え?

 

「つまり、英語を知らなすぎたんです。
Be動詞ってなに?って世界で、

「am」の過去形があることさえ知りませんでした。


ちなみに高三の冬です。」




——・・・それは。




「引きますよね。
だからまぁ、必死に勉強を始めました。

初めて筆箱を家に持って帰りましたよ 笑」



少し乾いた笑い声だった。



と思ったらさっきのココアシガレットでのどがパサパサになっていただけだった。

すぐに緩くなっている緑茶を飲む。

 

 

——なんて言っていいかわかりませんが、

苦労されたんですね。。

 

 

「でもおかげで英語の免許取得するくらいまで勉強したし、
バックパッカーとして世界を回るのにもハマったので、

結果的に良かったと思ってます。




——え、ひまじんさんってバックパッカーもしてたんですか?

 




「まぁ。一応、、ですけどね。大学生の休みを使ってフラフラする、

まぁ、よくある話ですよ」


——ちなみに今までどれくらいの国を回ってきたんですか。



「正確にはもう覚えてないですけど、20〜30くらいじゃないですかね」

 



——盛ってます_?

 

 

「えぇ、若干」

 

 

一同 「笑」

 

 

ーーなるほど。にしても面白いですね。
  ちなみに大学生活はどんな感じだったんですか?

 

 

「んーーーそうですね。

 表向きには地味な学生でしたけど、隅っこでは全力で遊んでました。」

 

 

——具体的には?

 

 

「僕は、みんなが集まるコミュニティスペース、
今でいう、シェアハウスみたいな家を作りたくて友達と山の方の3LKの家に住んでました。


そこには畑があったので、
畑の世話しながら夏はその野菜だけでご飯を作ったり、
冬は鳥やシカ肉をさばいて燻製にして保存食をつくって暮らしてました。

 

——それは、すごい。。というかなかなかワイルドな生活ですね。。。

 



「もちろん全部じゃないですよ。

ただできる限りそう言う生活をしたかったし、

できる限り、自分の手でやりたい、
食べ物の裏側のリアルを知りたいという欲求が強かったんです。

中高生の頃の影響ですかね。



あと、ヒッチハイクしたり、自転車でフラフラ日本回ったりと、

そんで写真にもちょっとだけ興味があったので、ライブハウス借りて自分の写真展したり

と、まぁ、なんというか隅っこで全力で遊んでました。

 

その感覚が今にもいきてますね。遊ぶなら全力で。って。



 

—なるほど。そこに今のひまじんさんのルーツがあるんですね。

 チョコレーとやコーヒー作るのもなんだかうなづけます。

 では、地味な一面、というのは?

 



「えぇ、こんな生活をしていたのは家だけで、基本的に大学では静かでした。

飲み会も行かないし、友達もちょっとしかいない。

授業もサボるときはサボるけど、単位を落とすまではいかない。どこにでもいるような地味な学生でした。」




——それは意外ですね。もっとイケイケな大学生かと。




「いやいや。それなりに真面目でしたよ。
というより、今まで一切勉強してこなかったので、
学ぶことが楽しくて。
できる限り授業は取ってました。

大学は基本的に124単位くらいで卒業できるのですが、
僕は180くらい単位とって卒業してました。」

 

 

——そんなに・・・!?なにか目的があったんですか?

 

 

「いや、ただ、面白そうだな、って授業をかたっぱしから受けてて。

例えばほら、食べ物に興味があったので、

家庭科系の授業を教授にお願いして、
他専攻の学生に混じって一人で受けさせてもらってました。


そしたら、いつの間にか単位が増えて、


教授に家庭科の免許申請すれば取れるよ。


って言われたから申請した。



そんな感じです。

 

 

——え、家庭科の免許も持っているんですか?

 

 

「えぇ。持ってる免許は小学校、中高の英語、家庭科の計5つです。

 

——意外とハイスペック。

 

 

「でも先生になるつもりもないので、
おまけみたいなもんですね。
ちなみに大学卒業時に運試しということで、

参考書とかで一度も勉強せずに

家庭科の教員採用試験受けたら補欠合格まで行きました。
その後お断りさせていただきましたけど」

 

 

——え、どうやって?

 

 

「いや、これ、いつも思うんですけど、
好きなことだったり知りたいことって勝手に本とか読むじゃないですか。


僕の場合もそうで、教育ってなんだろうって考えるのが好きだったから

そういう本読んでたり、

家庭科についても栄養とかそういう本を読み漁ってたら

家庭科の教員採用試験の問題くらいは

多少わかるようになりますよ」

 

 

そういって彼は楽しそうに続けた。

 

 

「なんというか、勉強って結果なんですよ。

知りたいことがあるか知る。読みたい本があるから読む、

 

それが結果として勉強という枠組みに入るだけで。」

 

 

 

——なんだか急に教育評論家みたいな感じになってきましたね。

 

 

 

「あはは。一応これでも教育学修士の資格まで持ってるので。

ちなみに僕の専門分野は教育哲学です」

 

 

——てつがく!!?

 

 

 

「えぇ、これでも一応哲学者の端くれってことですよ。」

 

 

 

——なんだろう。ますますひまじんさんがよくわからなくなってきた。。。

 

 

「あははは

『自分とは一番近い他人』

ですからね、誰も自分のことがわからないのに、

人のことなんて余計わからないですよ。」

 

 

そういう彼の顔はどこか楽しげだった。

 

 

 

——なんか急に哲学者をだしてきましたね。

 

 

そう言って自分のコーヒーを飲む。

ずいぶん緩くなっている。

少し話に夢中になりすぎていたようだ。

 

 

——いやぁ、それにしても、なかなか面白い人生を送ってますね。

 ちょっと羨ましいです。

 

 

「いえいえ。例えそうだとしても結局は今、ひまじんですから。」

 

 

——でもなかなか順風満帆だったんですねぇ。
JICAの青年海外協力隊にも参加したわけですし、楽しい人生なんじゃないですか?

 

 

気づいたら、ひまじんさんの人生を妬んだような皮肉なような言葉が口から出ていた。

もしかしたらどこかで負けたような気になっていたのかもしれない。

 

 

しかし

その直後のひまじんさんの表情を見て、

しまった。と思った。

 

 

「いや、僕にも死にたい、と思うくらい辛い時がありました。
うつ病にもなりかけました。」

J
ICAに応募したのも、

ボランティアしたい、とか、人のために頑張りたい、という気持ちではなく、

『ただの楽になりたかった』という逃げで応募したんですよ。

 

急に暗いトーンになり、

今までとは別人のような言葉を並べる目の前の人間に、

少し恐怖さえ感じた。

 

 

——え?

 そう・・だったんですか?なにがあったんですか?

 

 

「僕の人生の中で、
 唯一やり直したい時代、、、大学院生時代です。」

 

 

「そこで僕は全てを諦めて、初めて負けたんです。

人生に。社会に、そして、、、、、

 

 

重い沈黙が流れたあと、

彼はこう言葉を締めくくった。

 

 

 

自分に。」

 

 

 

ここまで順風満帆そうに見えたひまじんさんの人生、

しかしそこにはやはり日が陰る時期があったという。。。

 

大学院生時代に一体何が。

 

 

 

次回、大学院生〜JICA編です。

 

 

おそらく最終回!!

 

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