本記事は不登校や、フリースクール、オルタナティブ教育についてのマガジン
”Voices”から転載しております。
フリースクールとの出会い
就職活動を終えた夏。
友人からフリースクールのアルバイトの紹介をうける。
しかし当時は“フリースクール”という名前が存在することさえ知らなかった。
また「不登校」という身近にあっても普段関わることがない問題に、
当事者じゃない私が携ってよいのかと不安になった。
しかし初めて教室見学し、
「こんにちは!」
と、小学生から高校生の子供たちが自己紹介をした時。さっきまで持っていた不安はそうそうと消えていった。
それぞれの環境で育った子供たちが一つの場所へ集まり、新しい人間関係を作る。
年齢も異なる中で、カードゲームや話をしながら笑顔で過ごす子供たちをみて
ただただ、漠然と「学校にいけない理由はなんだろう」と考えた。
そこから今日で半年が経つ。
一人の人間として関わり続けることで、これまで生徒の本音を垣間見ることがあった。
教師や生徒同士との人間関係、各家庭内での問題、どこかで生まれた心の傷など、小さな子供たちが大きな問題を一人で抱えてきたことを知る。
“安心できる場の重要性”
これが、半年間で特に学んだことである。
・フリースクールという場所を子供達がどう使うか。
・スタッフがどうアプローチするか。
十人十色というように、慣れるまでに時間がかかる人、心を開くことさえ難しい人もいる。
時間がかかったっていい。
それでも皆、成長できるまで待ってくれる。
ゲームや話しをしていただけだとしても、その時間は彼らにとって貴重な時間であり、成長の種だから。
日々“成長していく子供達”。
そんな彼らはスーパーヒーローだ。
フリースクールを卒業し、学校に通う子供。
受験に向けて勉強に専念する子供。
話が苦手だった子はいまではおしゃべりになる子供。
苦手だったことから人と少しずつ話せるように。
小さな出来事や、時間はやがて大きな成長を生み、顔から笑顔が滲み出る。
フリースクールから見えた私の世界
私は来年の春から、精神、発達、知的、身体障害のある働きたい人への
就労以降支援を行う予定だ。元々、分野に興味があったわけではないが、
人が活きいきと生きられる社会になるにはどうすればいいかと考えたところから始まる。
ちょうど2年前にベトナムの大学に交換留学をしていた時、
肩の荷をおろしながら仕事をし、効率良く高品質に仕事をこなしていくベトナム人を多くみてきた。
そこには人間関係の変なストレスは感じられなかった。
一方で、帰国すれば、同じ髪型、スーツを着て、対策を練った面接をして、平気で嘘をつく学生。
学生の本質を知らずに平気でお祈りメールを送る企業。
嘘か本当かもわからない甘い罠。
どんな社会が、会社が私たちを待っているかもわからない。
運のようなものだから。
そうわかりつつも、嘘はつきたくなかった、むしろつけなかった。
なんのために仕事をしているかもわからず、ただ目的もなく時間を過ごすだけの人生ではなく、どうやったら自分の人生の貴重な時間をつかって1日1日何かを残せるだろうかと考えられる人生がいいと思い、企業や仕事をする内容を考え、今の一つの企業に出会った。
誰しも生きていく中で、なにか起こるきっかけがある。
それも含め、これからともに働いていく大人の幼少期時代がどう関係するのか一つのケースを知りたかったので、フリースクールで過ごしたこの半年間は私のなかでかけがえのない時間となった。
この時間をつかって経験できたことは大きな時間の糧となっている。
まだまだ子供たちの関わりは続くが、一つの変化に目を向け、声をかけられる大人になりたい。
その子供たちがいつか大人になり、自分の可能性を広げられて選択できるように。
そのきっかけがいつか作られるように、今日も1日安心を感じてもらいたい。
いつか私が夢にみた、活きいきできる社会が実現に向けて。
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